タツノコプロ時代
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映画に興味を持っていたことから、中央大学法学部在学中にシナリオ研究所に通い、1966年2月にタツノコプロへ入社。鳥海は脚本家を志望したが、当時のタツノコプロには文芸部がなかったため演出部に所属し、九里一平、笹川ひろし、原征太郎らの下で演出家の道を歩むことになった。漫画家からの転身でもなく、他のスタジオでのアニメの経験もない鳥海は、タツノコプロ育ちの演出家としては第一世代になる。 いくつかの作品で経験を経た後、前々から吉田竜夫社長より監督の打診を受けていた鳥海は、原からの推挙もあり『科学忍者隊ガッチャマン』(1972年)の総監督に抜擢された。第1話「ガッチャマン対タートル・キング」のメカ描写演出の迫力が現在でも高い評価を受けるのを始め、放映当時は他に例のないリアル志向とハードな描写・演出は、当時の「テレビまんがは子供のもの」という常識を覆し昭和50年代のアニメブームへと先駆ける、タツノコプロの代名詞とも言える大ヒット作になった。 以後、『破裏拳ポリマー』(1974年)、『宇宙の騎士テッカマン』(1975年)、『ゴワッパー5 ゴーダム』(1976年)とタツノコプロでテレビアニメを手がけていく。タツノコプロは1970年代後半から有力スタッフが抜けていくが、鳥海も1978年12月に退社してフリーとして活動を始めた。
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