ソロヴェツキーの石
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ソロヴェツキーの石(ロシア語: Солове́цкий ка́мень, ラテン文字転写: Solovetskij kamen)はモスクワのルビャンカ広場(かつてKGB本部があり、現在はFSB本部がある)に置かれた記念碑。ソ連のグラグの一つ、ソロヴェツキー強制収容所が置かれたソロヴェツキー諸島から運ばれた大きな石である。1990年にソ連における政治的抑圧の被害者を記念して設置された。
歴史
ロシアのNGO、メモリアルによれば、1974年に政治犯たちが「ソ連政治犯の日」を定めたことを記念して、1990年10月30日に建立された[1]。1991年には、ロシア最高会議は公式に10月30日を「政治的抑圧の犠牲者の記念日」に定めた[2]。
2002年にはサンクトペテルブルクのトロイツカヤ広場に新たなソロヴェツキーの石が設置された。これはエフゲニー・ウクナーリョフがデザインしたもので、ペトログラード・レニングラードにおける政治的抑圧の犠牲者の公的な記念碑として知られている。この10トンの花崗岩の巨石は、元はソロヴェツキー強制収容所の処刑場から50メートル離れたところにあった。岩は「グラグの囚人達へ」「共産主義テロルの犠牲者達へ」「自由の闘士達へ」という言葉と、アンナ・アフマートヴァの詩「レクイエム」の一節、"Хотелось бы всех поименно назвать..."(彼ら全員をその名で呼びたい、けれど...)が刻まれた磨き花崗岩の台に置かれている。記念碑は2002年9月4日にサンクトペテルブルク開府300年祝賀に合わせて公開された[3]。Solvki Encyclopediaによると、ウクナーリョフと記念碑を企画したロシア国家院議員ユーリィ・ルィバコフは、10.4トンの巨石を白海のソロヴェツキー諸島から輸送する費用も含めて、すべての費用を個人で負担したという。サンクトペテルブルク市当局は、市の開府300年祝賀のために相当な額の予算を割り当てていたにもかかわらず、記念碑に対して一切の資金援助を行わなかった[4]。
参考文献
- ^ news.ru article, 23 February 2008 (in Russian), English translation
- ^ Putin visits memorial to victims of Stalinist Great Terror, The New York Times, October 30, 2007
- ^ Solovetsky Stone, monument, Saint Petersburg Encyclopedia. Accessed 17 August 2009
- ^ Он установил в Питере Соловецкий камень Solovki Encyclopedia (ロシア語)
外部リンク
- モスクワのソロヴェツキーの石(Wikimapia)
ソロヴェツキーの石
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「メモリアル (人権団体)」の記事における「ソロヴェツキーの石」の解説
ソロヴェツキーの石は、レーニンがソビエト連邦の指導者だった1923年にソビエト連邦初の常設の強制収容所が設立されたことを想起させるものだった[要出典]。ソルジェニーツィンはソロヴェツキー諸島のソロヴェキ強制収容所は、そこから進化した収容所システムの全てがソ連全体に癌のように広がっている悪性細胞だったと喩えている。 時とともにソロヴェツキーの石はモスクワにおける追悼の中心地となった。このアイデアは他の場所でも再現され、サンクトペテルブルクでは2002年に地元のメモリアル協会が同様の記念碑を建立した。 きっかけとなったのは1990年にアルハンゲリスクのローカルな「ソヴェスト(良心)」協会が、同じ目的で巨石を建立する準備をしていたことにある。モスクワ・メモリアルはソヴェスト協会に同様の巨石の選定を依頼し、モスクワへの輸送を手配しルビャンカ広場に建立した。それから9ヶ月間、ソロヴェツキーの石は広場の中央に1958年に建立されたチェーカー創設者フェリックス・ジェルジンスキー像と対面するように設置されていたが、1991年8月のクーデター未遂の後、ジェルジンスキー像は倒され撤去された。 1990年代には、ソロヴェツキーの石はモスクワで毎年10月30日におこなわれる「追悼の日」の記念式典の会場となり、2007年からは毎年、前日の10月29日に行われる「名前復活」のセレモニー会場にもなっている。セレモニーでは1930年代にモスクワやモスクワ地方で処刑された人々や収容所に送られた人々の名前を読み上げるために、ボランティアによる長い行列が何時間も続いており、2016年の読み上げは12時間も続いた。
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