ソロ・プロジェクトとしてのキングダム・カム (1990年 - 2000年)
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バンドとしてのキングダム・カムの終焉後、レニー・ウルフは一人でキングダム・カムを続けることを決意した。 1991年、キングダム・カムの3rdアルバムとなる『ハンズ・オブ・タイム』をリリース。初のレニー・ウルフのセルフ・プロデュースでのリリースとなった。「Can't Deny」以外の作詞をレニー・ウルフとハープ奏者で作曲家のキャロル・テイタム (Carol Tatum)が共作し、「Can't Deny」の作詞およびすべての曲の作曲とボーカル、ギター、ベースをレニー・ウルフが担当した。そのほか、後にポイズンに加入するギタリストのブルース・サラセノ (Blues Saraceno)など数名のセッション・ミュージシャンが参加した。キャロル・テイタムのハープで幕を開けるこのアルバムでは、前作までのギターを中心としたハードロックからレニー・ウルフの情感豊かなボーカルを中心とした、よりメロウなサウンドへと変化。また、キーボードを効果的に導入するなど、これ以降のアルバムにつながる変化がみられた。 その後、レニー・ウルフはニューヨークとハンブルクを往復しながら活動を続け、新たにWEAと契約し、1993年に4thアルバムとなる『バッド・イメージ』をリリースした。全曲レニー・ウルフの作詞作曲で、ふたたびレニー・ウルフのセルフ・プロデュースとなったこのアルバムは、前作の作風をさらに推し進め、レニー・ウルフの憂いを帯びたボーカルを生かしたミドルテンポ中心の叙情的なハードロック・アルバムとなった。また、より効果的に配されたキーボードやSEもアルバムの叙情性を高めることに貢献した。しかしすでにアメリカなどでのキングダム・カムへの関心は薄れていたこともあり、ドイツ以外ではあまり流通しなかったという。 WEAとの関係はうまくいかず、レニー・ウルフは新たにドイツ国内のレーベルと契約し、1996年に5thアルバム『トワイライト・クルーザー』をリリース。また、アルバム・リリースにともなうツアー終了後、スイスのバーゼルでのライブの様子は同年、2枚組ライブ・アルバム『Live and Unplugged』としてリリースされた。続く1997年にはMother's Finestのドラマー、ディオン・マードック (Dion Murdock)とともにドイツで制作した6thアルバム『Master Seven』をリリース。その後もレニー・ウルフはドイツで活動を続け、1999年のディープ・パープルのドイツ・ツアーではサポート・アクトを務めた。また2000年には、ストーン・フューリー時代の「Too Late」、「Tease」、「Should Have Told You」の3曲の再録と、レニー・ウルフが1999年にリリースした全編ドイツ語によるソロ・アルバム『Lenny Wolf』からの4曲を英訳したものを収録したアルバム『Too』をEagle Rock Entertainmentからキングダム・カムの7thアルバムとしてリリースした。
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