ソマリア独立前の国境問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 18:26 UTC 版)
「カウ (ソマリア)」の記事における「ソマリア独立前の国境問題」の解説
1948年に書かれたイタリア政府の見解書によれば、イギリス政府は1886年にワルサンガリ氏族と協定を結んで彼らの居住地を保護国化し、一方イタリア政府は1889年にマジェルテーン氏族と協定を結んで居住地を保護国化し、さらに1894年にイタリアとイギリスは東経49度を境にイギリス領とイタリア領を分ける協定を結んだが、カウはマジェルテーン氏族主体の町だったため1907年に再度イギリスイタリア間でカウをイタリア領とする協定が結ばれた。 1925年に出版された本には次のように書かれている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}人口はワベーネーイェ(英語版)族と、少数のワルサンガリ(英語版)族の支族Rear Dubeisとで構成されている。ワベーネーイェ族はReer Idris Arrale, Arrale Egal, Ali Suber, Idris Ali, Dubという5つの部族に分かれている。ワベーネーイェ族の長はアブダラ・アブドゥラマン、通称アブダラ・ジュンガシだが、国王は王家に属するアリ・グレを長と見なしている。 ベンダージアダの人口は約400人にのぼる。 村には3つの砦(うち2つはReer Idris Arrale、1つはreer Dub)があり、5つの家と2つの石造りのモスク、そして約200の小屋がある。 飲み水は、町から200メートルほど離れたところにある1つの井戸から汲んでいる。 —Stefano, Grande、La Migiurtinia Ed Il Territorio Del Nugál 1948年、イギリス政府はイタリア政府に対して、Bandar Siyadaをイギリス領ソマリランドに含めるべきだとイタリア政府に提案し、米国とフランスの支持を得たが、ソビエト連邦政府はイタリア政府がすでにこの地の権利を放棄しているとして拒否した。
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