ソマリア独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 02:45 UTC 版)
「アブドゥラフマン・アフメド・アリ・トゥール」の記事における「ソマリア独立」の解説
1960年、イギリス領ソマリランドとイタリア領ソマリランドとが統合して、ソマリア共和国が誕生した。与党はソマリ青年同盟で、政策として大ソマリア主義(国境を越えたソマリ族の統一運動)を掲げていた。しかしソマリ青年同盟の政策はソマリア南部寄りであり、旧イギリス領ソマリランド地域では不満が高まった。 トゥールはトゲーア州(英語版)知事となる。その後すぐにソマリアの首都モガディシュの内務省に転属。 1969年にソマリア大統領暗殺と軍のクーデターが発生し、モハメド・シアド・バーレが大統領となった。トゥールは在スーダン大使館勤務となり、さらにエチオピア大使となった。一時的にモガディシュ勤務となった後、東ドイツ、アラブ首長国連邦大使。その後、公職から退く。 モハメド・シアド・バーレはソマリ青年同盟以上に急進的な大ソマリア主義を掲げ、隣国エチオピアのソマリ族居住地域を併合すべく1977年にオガデン戦争を開始した。
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