ゼロ距離発進とは? わかりやすく解説

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ゼロ距離発進

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/14 08:54 UTC 版)

ゼロ距離発進を行うF-100D

ゼロ距離発進(ゼロきょりはっしん Zero length launch)とは、垂直離着陸機ではない航空機がほとんど滑走せずに離陸することであり、特に冷戦期の戦闘機発進方法として検討された[1][2]。そのシステムはzero length take-off systemからZLLZLTOZELZELLなどと略称される[1]

戦闘機の発進方法の一つとして、爆撃等によって滑走路が使用不能となった時においても、離陸し、作戦行動をとることを可能とするために開発が行われた[1]。戦闘機に大型ロケットブースターを装備するものであり、その機体はランチャー上にセットされる[1]。機体本体のジェットエンジンおよびロケットブースターの推力によりごく短時間に大きく加速され、離陸が行われる[1]。なお、ロケットブースターは離陸後、分離投棄される[2]

離陸においては滑走路を必要としないが着陸には滑走が必要であり、そもそも最低限の滑走路も無いのであれば、離陸できても帰投して着陸はできないという問題がある[1]。従って戦略としてミッション遂行後は帰投せず別の着陸可能な場所に着陸するか、片道出撃であろうとも戦略上の理由で発進しなければならない状況(戦略爆撃機の迎撃など)といった想定で開発された。なお、ごく短い距離でも離陸滑走できる状況であれば、機体取り付け型のロケットブースターであるJATORATOにより離陸ができる。

歴史

1950年代から1960年代にかけて、アメリカ空軍西ドイツ空軍(現 ドイツ連邦空軍)、ソビエト連邦空軍防空軍)などで実験が行われ、離陸技術に関しての問題は少なかった。しかし、大型ロケットブースターなどの費用面と即応性に優れた誘導ミサイルの発達などにより、実用化にまでは至らなかった[1]

比較的脆弱な滑走路への依存を欠いたフィールド戦闘機への欲求は、垂直離着陸機(VTOL)または短距離離着陸(STOL)のフライトプロファイルのいずれかが可能ないくつかの航空機の開発を動機づけた。そのような戦闘機には、イギリスのホーカー・シドレー ハリアーやソビエトのYak-38などの実用航空機、およびアメリカのF-15 STOL/MTDなどの実験的なプロトタイプが含まれていた[3]

ZELLの試験が行われた機体

ゼロ距離発進テスト中のF-84
テスト中のロッキードF-104G
アメリカ空軍、1953年計画開始。この開発試験においては、ゼロ距離発進マット着陸方式(Zero Length Launch and Mat Landing,ZELMAL)が採用され、着陸時も降着装置を使わず、ゴムマットとアレスティングフックの併用により短距離着陸させる計画であった[2][4]。移動式ランチャーからの発進には、機体後部下に取り付けたMGM-1 マタドール・ミサイル向けを転用したブースターを用いている[2]
1953年12月に無人機による発進試験が成功し、1954年1月には有人機での試験も成功した[2]。着陸試験は1954年6月に行われたが、機体が損傷し、パイロットも受傷したため、28回の発進試験と3回の着陸試験でもって、開発は中止された[2][4]
アメリカ空軍、1957年計画開始。コンセプトとしては、報復の核爆撃手段として隠匿配備し、敵の攻撃を回避し、攻撃後の乗員は味方領域にパラシュート降下するというものであった[2]
1958年より有人の発進試験がなされ、発進自体は成功している[2]
西ドイツ空軍、1963年計画開始。マタドール・ミサイル向けを転用したブースターを用い、エドワーズ空軍基地において、1966年に発進試験に成功している[5][6]
ソ連軍、1957年に有人発進試験に成功している[2]

脚注

  1. ^ a b c d e f g Aviation Management: Global Perspectives,K.C. Khurana,Global India Publications Pvt Ltd,P147 ISBN 9789380228396
  2. ^ a b c d e f g h i Rocketing Into the Future: The History and Technology of Rocket Planes,Michel van Pelt,Springer Praxis Books,P181-187 ISBN 9781461431992
  3. ^ Khurana 2009, p. 147.
  4. ^ a b 松崎豊一. F-84 サンダージェット/サンダーストリーク. 世界の傑作機. 90. 文林堂. p. 25. ISBN 9784893190888 
  5. ^ F-104 スターファイター. 世界の傑作機. 103. 文林堂. p. 55. ISBN 9784893191076 
  6. ^ Upton, Jim. Lockheed F-104 Starfighter. WarbirdTech. 38. Specialty Press. p. 89. ISBN 9781580070690 

関連項目

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アメリカ合衆国最初の量産型F-100Aは1953年後半に軍に引き渡され、1954年9月から運用を開始した。当時、MiG-19の存在を認識していなかったアメリカ合衆国では、F-100が世界で最も高性能の戦闘機だと思われていた。F-100Dはベトナム戦争で最初は戦闘爆撃機として北爆に使用された。すぐ後にF-105が登場すると爆撃任務を譲る事となったが、F-105がMiG-17に撃墜され戦闘機失格とされる事件が起きたため、護衛戦闘機として使用された。だが、結局F-100はMiG-17を撃墜する成果を残せなかったのに対し、F-105は果敢にMiG-17に挑んで撃墜記録を残した。これは、F-100が当時既に空対空戦闘の必須装備となっていた捜索レーダーを搭載していなかったことが大きく影響している。F-100の照準器はF-86Aにも搭載されたAN/APG-30であり、有視界下で目視により対象を捕捉、レーダー正面に捉えることにより機銃やロケット弾の見越し角を表示するという、完全に時代遅れのものであった。F-4が登場するに至って北爆から外されるが、南ベトナムにおいての近接航空支援任務に回され、1971年まで使用された。ただしこの任務に用いるには適した機体とは言えず、後にA-10が開発される理由のひとつともなっている。第一線部隊からは1972年に姿を消し、空軍州兵では1980年まで運用された。なお、1956年から1968年までアメリカ空軍の曲技飛行隊・サンダーバーズでも使用されたほか、ゼロ距離発進の試験にも用いられた。 トルコ
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