セント・メアリー少年工業学校とは? わかりやすく解説

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セント・メアリー少年工業学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:38 UTC 版)

ベーブ・ルース」の記事における「セント・メアリー少年工業学校」の解説

7歳になった頃には既に両親の手には負えなくなり、セント・メアリー少年工業学校(英語版)という全寮制矯正学校孤児院送られた。ルースその後12年間をセント・メアリーで過ごすことになる。そこで少年たち教官務めていたローマ・カトリックのマシアス・バウトラー神父 (Matthias Boutlier) と出逢い野球教わったことが、ルース人生決定的な影響もたらすことになった以後ルース生涯にわたってマシアスを恩師仰いだ。 マシアスはルース勉強洋服仕立て方教え休み時間には野球のルール打撃・守備やり方などを教えたルースその他に学校吹奏楽部演劇部にも所属していた。ルース自伝によると、マシアスは大変な美男で、外の世界出ればすぐに俳優として活躍できるではないか思えるほど見た目良かった上に、身長6フィート6インチ(約198cm)、体重250ポンド(約113kg)という堂々たる体格大男であり、ルース初めてマシアスと対面した瞬間から、それまで体験したことのない威圧感畏敬の念覚えたという。また、マシアスはバット片手で振るだけで、ボロ布で作った粗末なボール100m以上も飛ばせるほどの腕力持ち主であった当時、セント・メアリーには800人ほどの少年収容されており、20から30人ほどのブラザー神父)が少年たち教官務めていたが、その中でもマシアスほど少年たちから慕われていた教官は他にいなかったとルース語っており、実際にもマシアスはルース卒業後にセント・メアリーの校長昇格している。また、ルースがマシアスを尊敬していたエピソードとして、ルースは歩く時に内股にして足を引きずる癖があったが、これはマシアスの癖を真似たものであり、その癖生涯治らなかった。 なお、ルース23歳のとき、ルースの父は自身経営していた酒場で客同士喧嘩巻き込まれ命を落としている。しかし、ルースは母が亡くなったときには非常に悲しんだが、父とは疎遠であり、父が亡くなったときにはそれほど悲しんだ様子はなかったという。もともと酒場年中働き詰めだった父とは顔を合わせることも少なく7歳のときからセント・メアリーで実の父よりも長い期間をマシアスと共に過ごしたルースにとっては、マシアスこそが「育ての父」であった

※この「セント・メアリー少年工業学校」の解説は、「ベーブ・ルース」の解説の一部です。
「セント・メアリー少年工業学校」を含む「ベーブ・ルース」の記事については、「ベーブ・ルース」の概要を参照ください。

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