セミ・インディペンデント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 00:31 UTC 版)
「ルドルフ・カラツィオラ」の記事における「セミ・インディペンデント」の解説
アルファロメオはカラツィオラに「セミ・インディペンデント」(半独立)という中途半端な契約を提示し、全員イタリア人の他のワークスドライバーたちとカラツィオラを区別した。車両のカラーリングも当初カラツィオラが乗るアルファロメオはイタリアのナショナルカラーの赤ではなく、ドイツのナショナルカラーの白で塗られた。こうした扱いは、メルセデス・ベンツのSシリーズが大馬力を誇る代わりに1,500㎏を超える重量級の車体だったのに対して、アルファロメオは小馬力ではあるが車重は700㎏程度しかなく、車両の性格が大きく異なり、カラツィオラがその違いに対応することはできないと思われていたからだと推測されている。 4月のミッレミリアでアルファロメオ移籍初戦を迎え、カラツィオラは途中のローマまでは首位を走っていたが、レース後半、車両トラブルによりリタイアとなる。これについてカラツィオラは、ドイツ人が2年連続で優勝してしまわないようアルファロメオが故意にリタイアさせたのだと考えている。 続くモナコグランプリ(英語版)では、レース中盤で2位になって、首位を走っていたワークスドライバーのタツィオ・ヌヴォラーリとの差を急速に詰め、終盤の10周はヌヴォラーリの直後についたままオーバーテイクを仕掛けることはせず、ヌヴォラーリの真後ろでチェッカーを受けた。カラツィオラは「ワークスドライバーであれば」レース後半に同じチームのドライバーが1位と2位を走っているなら、順位は争わないものだという不文律があると考えていたためだったが、周囲から見ればチームオーダーの存在を思わせるものだっため、カラツィオラは観客たちから罵声と嘲りを受けることとなる。 翌月も非選手権のレースで活躍し、アヴスレンネンで2位、アイフェルレンネンで優勝し、アルファロメオからは正式にワークスドライバーとして認められ、車両も赤く塗装されるようになった。
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