ズーヨークの壁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/13 05:24 UTC 版)
ズーヨークの壁は、1970年代にストリートアーティストらが自分たちの絵を描いた、セントラル・パーク内を走るこの路線の区間にある落書きされた壁である。ニューヨークシティ・トランジット・オーソリティが、セントラル・パーク動物園の地下を走る63丁目線の現場に無断で入れないように封鎖するために、1971年に造られた一時的な壁であった。名前は当初は63丁目トンネルであったが、続いてズーヨークトンネルと呼ばれるようになった。1971年から1973年にかけてのトンネル建設中には、このトンネルはセントラル・パーク周辺をうろついていた初期の地下鉄アーティストたちの集合場所となっており、落書き集団のソウル・アーティスト創始者ALIによってズーヨークと名付けられた。ニューヨークにある動物園(ズー)ということで、ズーヨークと名付けられたものである。 磨かれたアルミニウムの壁は、スプレーやインクを弾くように期待されていたが無駄であり、10代の落書き書き手たちに対しては、建設中に壁を乗り越えてトンネル内に入り込むのを阻止する効果もほとんどなかった。また落書きの書き手たちは、建設現場の周囲に張り巡らされた壁に印をつけることで、それぞれの領域を明確化した。1973年に地下鉄が完成すると、このズーヨークの壁は取り壊された。 当時のセントラル・パーク動物園は、19世紀の古典的な見世物型の動物園であり、露天の檻に入れられた動物たちが、閉じ込められた領域の外の世界を知らないながらも、常に逃げ出そうと思いながら神経質に棒の上を行ったり来たりするものであった。ALIは、自分自身も含めて、自由な社会に生きる「野生」のティーンエイジャーたちが、深く暗い地下の穴に心の底から集まりたがることと、動物園の状況を対比した。この倒錯した都市心理学を考察し、ALIはすべての都市部の住民たちは、小さなアパート、事務所、地下鉄の電車やそれに類するものに閉じ込められたがる障害を持っており、ニューヨークの街そのものが「ニューではなくズー」であると宣言し、トンネルそのものをズーヨークを名付けることになった。
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