スーパーソニックス以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 18:08 UTC 版)
「ゲイリー・ペイトン」の記事における「スーパーソニックス以後」の解説
ペイトンはミルウォーキー・バックスで約3ヶ月過ごし、個人成績はそれまでと変わらない高い水準だった。しかしバックスは42勝40敗と凡庸な成績で、プレーオフで1回戦敗退した。 翌2003-04シーズン開始前、ペイトンは優勝できるチームを求めフリーエージェントとしてロサンゼルス・レイカーズに移籍。シャキール・オニールとコービー・ブライアントを擁し、フィル・ジャクソン監督に率いられ2000年から3年連続で優勝を果たしていたが、前年に地区準決勝で敗退していたレイカーズは覇権奪還を期してオフに積極的な補強に乗り出していた。カール・マローンもペイトンと同じ目的でレイカーズに移った。 レイカーズではシャックやコービーが得点面で主要な役割を果たしており、ペイトンの個人成績は以前と比べて下がった。レイカーズは56勝26敗とリーグ4位でシーズンを終え、2年ぶりにNBAファイナル進出を果たした。ペイトンにとって2度目の優勝の機会となった。対戦相手はデトロイト・ピストンズで、プレーオフでは番狂わせを演じながら勝ち上がっていた。下馬評ではレイカーズが有利とされていたが、レイカーズは1勝4敗とピストンズに敗れ、ペイトンの悲願はここでも果たされなかった。 このシーズンが終わるとペイトンはボストン・セルティックスに放出された。ペイトンは既に30代半ばになっており、セルティックスでの出場時間は以前よりも減り、それに従い得点、アシストなどの個人成績も低下した。シーズン中の2005年、セルティックスはペイトンをアトランタ・ホークスにトレード、ペイトンは一度もプレイしないままホークスに解雇された。ペイトンはその後再びセルティックスに戻った。プレイオフでセルティックスは1回戦で敗退した。 翌2005-06シーズン、ペイトンはマイアミ・ヒートに移った。先発する試合も以前より減り、出場時間はジェイソン・ウィリアムスと分け合いながら1試合平均28.5分、プレーオフでは24.3分と減ったがNBAファイナルでは後半の重要な場面ではほとんどペイトンがポイントガードを任されてプレイした。そして選手生活で初めての優勝を経験する。特に大逆転劇となったファイナルの第3戦では残り9.3秒で逆転のジャンプシュートを決め、ベテランらしい存在感を示した。また優勝を決めた第6戦では、ヒートの勝利がほぼ確定した時に感極まって涙ぐむ姿もみられた。 ヒートではもう1シーズンだけプレイし、2006-07シーズン後にフリーエージェントとなり、去就を決めぬまま2007-08シーズンを迎えたが2008年4月に引退を発表した。
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