スルターンへの登位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 19:34 UTC 版)
フレグがシリアの各都市に置いた総督はマムルーク軍によって殺害され、ダマスカスもイスラーム勢力の支配下に戻る。モンゴル軍との交戦前、バイバルスはクトゥズからアレッポ総督の地位を約束されていたが、戦後に約束を反故にされる。1260年10月、バイバルスはクトゥズに不満を抱く仲間と共謀してカイロへの帰還中に行われた狩りの最中にクトゥズを刺殺する。クトゥズの殺害後、テュルクの慣習に則って、クトゥズに止めを刺したバイバルスが新たなスルターンに推戴された。 即位したバイバルスはカイロのムカッタム城砦に入り、部将たちから忠誠の誓いを受けた。だが、クトゥズを迎える準備をしていたカイロ市民たちはクトゥズの死とバイバルスの即位に戸惑い、バフリー・マムルークによる統治に不安を抱いていた。バイバルスはクトゥズが課した税を廃止し、バフリー・マムルークたちに市民に危害を加えることを固く禁じたことで、人心はようやく落ち着いた。即位直後にダマスカス総督サンジャルやシリア諸都市の将軍たちが反乱を起こし、バイバルスはかつての主人であるアイダキーンを鎮圧に派遣した。反乱が鎮圧された後、バイバルスはアイダキーンをダマスカス総督に任命した。アレッポにおいてはクトゥズによって総督に任命されていたアラウッディーン・イブン・ルウルウが配下に放逐されており、バイバルスは新たにアレッポの総督となったフサームッディーン・ラージーンの地位を追認した。
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