ストウ庭園修景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 09:11 UTC 版)
「チャールズ・ブリッジマン」の記事における「ストウ庭園修景」の解説
ブリッジマンは、バッキンガムッシャーにあるストウ庭園を改修したことで知られ、この庭園設計ほかで、庭園造りも新しい思考をもたらす。1593年にこの地を手に入れたサー・リチャード・テンプルが、この土地に館を新築し庭園を造ろうとしたのは1680年ごろとされている。そのときのものは、丘の上に館を建て、南側に三つの連続したテラス状の区画からなる整形式の庭園形式であった。その庭園に手を加えて自然風景の美しさを取り入れようと考えていた息子の子爵コバムは、ブリッジマンに依頼する。 庭園工事は1715年ごろから開始され、館の北側の入り口から館に対してまっすぐに水路を設置し、エントランス広場に構成される。以前の3区画の庭はまとめてひとつの大きな花壇に変更し、その先に直線の並木道が延長し、八角形の大きな池につながるよう設計されている。館から伸びる園路構成は平面幾何学式庭園の手法がなされているが、主軸の直線並木道から敷地東側が拡張できず、西側のみの拡張となる。このために不規則な構成と化すことで、逆に整形式の伝統的庭園構成を崩し、左右の対象性が完全に喪失、これまでみられなかった庭園を生じさせることとなる。 ストウはその後1727年から西側の区域をさらに拡張するが、直線の園路に囲まれた区画の中に起伏のある牧草地が設置される。 ブリッジマンの手がけた庭園は、のちのケントやブラウンにストウだけでなくチジックハウス、ルーシャムハウス、ジョージ・ワイズととりくんだブレニム、現在のキューガーデンで、18世紀ごろジョージ二世とカロライン王妃が所有していたリッチモンドと、その長男フレデリックの居館の庭園など、その他の庭園も今日いわれるイギリス式庭園へと改修されていく。
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