スサノオとの習合・朝鮮半島との関係
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「牛頭天王」の記事における「スサノオとの習合・朝鮮半島との関係」の解説
祇園神が鎮祭されたのは、奈良時代以前に遡るとされ、記録の上では詳細不明である。八坂神社が1870年(明治3年)に出版した『八坂社舊記集録』上中下(紀繁継 『八坂社旧記集録』『八坂誌』ともいう)巻頭に承暦3年(1079年)の年代の記された記載を謄写したという「八坂郷鎮座大神之記」には 八坂郷鎮座大神之記齊明天皇即位二年丙辰八月韓國之調進副使伊利之使主再來之時新羅國牛頭山座須佐之雄尊之神御魂齋祭來而皇國祭始依之愛宕郡賜八坂郷並造之姓十二年後天地天皇御宇六年丁 社號為威神院宮殿全造營而牛頭山坐之大神乎牛頭天王奉称祭祀畢淳和天皇御宇天長六年右衞門督紀朝臣百繼尓感神院祀官並八坂造之業賜為受續 奉齋御神名記 神速須佐乃男尊 中央座 — 『八坂社舊記集録』上 とあり、斉明天皇2年(656年)高句麗の使、伊利之使主(イリシオミ)が来朝したとき新羅国の牛頭山の須佐之雄尊を祭ると伝えられる。伊利之は『新撰姓氏録』山城国諸蕃の八坂造に、意利佐の名がみえ、祇園社附近はもと八坂郷と称していた。この伝承にそのまま従うと「日本における神仏習合以前に、朝鮮半島ですでに日本神話のスサノオが信仰されており、その信仰をもちこんだ渡来人が住みついた後になってから牛頭天王と習合した」ということになるが、川村湊や真弓常忠は「朝鮮半島より渡来した人々が住みついて牛頭天王を祀ったが、その後、日本神話のスサノオと習合した」と解釈している。 『日本書紀』巻第一神代上第八段一書に、スサノオ(素戔嗚尊)が新羅の曽尸茂利/曽尸茂梨(ソシモリ)という地に高天原から追放されて降臨し、「ここにはいたくはない。」と言い残し、すぐに出雲の国に渡ったとの記述があるが、この伝承に対して、「ソシモリ」は「ソシマリ」「ソモリ」ともいう朝鮮語で、牛頭または牛首を意味し、朝鮮半島の各地に牛頭山という名の山や牛頭の名の付いた島がある由と関連するという説がある。ただし現代のハングル表記による朝鮮語と古代の新羅語では発音が異なっていたとして、この説に対する異論もある。 また、ソシモリのソは蘇民のソで、蘇民は「ソの民」であるとして、蘇民将来説話と『日本書紀』のスサノオのソシモリ降臨と関連づける説もある。
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