スサノオとの習合・朝鮮半島との関係とは? わかりやすく解説

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スサノオとの習合・朝鮮半島との関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 00:12 UTC 版)

牛頭天王」の記事における「スサノオとの習合・朝鮮半島との関係」の解説

祇園神鎮祭されたのは、奈良時代以前遡るとされ、記録の上では詳細不明である。八坂神社1870年明治3年)に出版した八坂社舊記集録上中下(紀繁継 『八坂社旧記集録』『八坂誌』ともいう)巻頭承暦3年1079年)の年代記され記載謄写したという「八坂郷鎮大神之記」には 八坂郷鎮大神之記齊明天皇即位二年丙辰八月韓國調進副使伊利使主再來之時新羅牛頭山須佐之雄尊之神御魂齋祭來而皇國祭始依之愛宕郡八坂郷並造之姓十二後天地天御宇六年丁 社號威神院宮殿全造營牛頭山坐之大神牛頭天王奉称祭祀淳和天皇御宇天長六年右衞門督朝臣百繼尓感神院祀官八坂造之業賜為受續 奉齋御神名神速須佐乃男尊 中央座 — 『八坂社舊記集録』上 とあり、斉明天皇2年656年高句麗の使、伊利使主(イリシオミ)が来朝したとき新羅国の牛頭山須佐之雄尊を祭ると伝えられる伊利之は『新撰姓氏録山城国諸蕃八坂造に、意利佐の名がみえ、祇園社附近はもと八坂郷と称していた。この伝承にそのまま従うと「日本における神仏習合以前に、朝鮮半島ですでに日本神話スサノオ信仰されており、その信仰もちこんだ渡来人住みついた後になってから牛頭天王習合した」ということになるが、川村湊真弓常忠は「朝鮮半島より渡来した人々住みついて牛頭天王祀ったが、その後日本神話スサノオ習合した」と解釈している。 『日本書紀』巻第一神代第八一書に、スサノオ素戔嗚尊)が新羅の曽尸茂利/曽尸茂梨ソシモリ)という地に高天原から追放されて降臨し、「ここにはいたくはない。」と言い残し、すぐに出雲の国渡ったとの記述があるが、この伝に対して、「ソシモリ」は「ソシマリ」「ソモリ」ともいう朝鮮語で、牛頭または牛首意味し朝鮮半島各地牛頭山という名の山や牛頭の名の付いた島がある由と関連するという説がある。ただし現代ハングル表記による朝鮮語古代新羅語では発音異なっていたとして、この説に対す異論もある。 また、ソシモリのソは民のソで、民は「ソの民」であるとして、蘇民将来説話『日本書紀』スサノオソシモリ降臨関連づける説もある。

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