スカイビル本棟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 03:19 UTC 版)
初代スカイビルは1968年(昭和43年)3月に完成した。当時としては珍しい多目的商業ビルで、横浜駅周辺で一番高い建物であった。最上階の10・11階はそれぞれ左右別方向に回転する2層の回転ラウンジレストラン「ヨコハマ・スカイ・ラウンジ」があった。本棟にはそのほか、バンケットホール(宴会場)、結婚式場(当初は直営)、ビヤガーデン、サウナ「国際ヘルスクラブ」、医療センター、消費生活センター、文化教室、飲食店・物販店など、約100店舗で構成されていた。革新派の飛鳥田一雄市長の要求により、本棟の裏側の低層棟の1階には「スカイ体育館」(1976年4月にパチンコ店に転換)、多目的ホール「スカイ劇場」が、2階にはボウリング場「スカイボウル」(1975年1月閉鎖)が入居した。 スカイ劇場では毎週木曜日に「スカイ木曜寄席」(1969年7月~1983年9月)が開かれ、スカイ劇場は毎週第3土・日曜日は横浜アマチュア演劇連盟に優先して貸し出されていた。 ただ、1968年(昭和43年)5月に横浜市の補助金を原資に当社の費用負担で建設した東口横断歩道橋が完成するまでは、交通量の多い国道1号を横断しなければならず、また横浜駅西口と東口を繋ぐ通路が不備であるなど、横浜駅周辺の開発が不十分であったため、スカイビルの業績は好調とはいえなかった。当時は現在の「きた通路」付近に暗くて狭い地下通路と、駅プラットホーム北端に1930年(昭和5年)竣工の内海川跨線人道橋があり、駅からスカイビルへのアクセスは良くなかった。 1980年(昭和55年)11月に横浜駅東口にルミネ横浜店・地下街横浜ポルタが開業するとスカイビルは見劣りするようになり、最盛期は80軒もあった店舗の退店が相次ぎ、これが原因で大株主がジャパンラインから三菱地所に変わることになった。 その後、1990年(平成2年)には横浜駅東口の再開発に伴い全面建て替えが行われることになり、建設期間中の1991年(平成3年)より、初代スカイビルに入居していた一部の専門店は近隣にある横浜神谷ビルに移転、スカイビルの仮店舗という名目で「横浜スカイプラザ」として営業を継続していた。
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