ジョン・パイザー
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「切り裂きジャックと疑われた者たち」の記事における「ジョン・パイザー」の解説
ジョン・パイザー(John Pizer [or Piser]、1850年頃 - 1897年)は、ホワイトチャペルで靴屋を営んでいたポーランド系ユダヤ人。ホワイトチャペル殺人事件の初期において、地元民の多くは「レザー・エプロン(Leather Apron、革エプロン)」の仕業だと噂しており、メディアにも取り上げられるが、これはパイザーの渾名であった。彼には刺殺事件の前科があり、またウィリアム・シック巡査部長は彼が売春婦への軽い暴行事件を繰り返していたと疑っていた。1888年8月下旬のニコルズ殺し、9月上旬のチャップマン殺しを受けて、担当刑事が「証拠不十分」と報告していたにも関わらず、9月10日、シックはパイザーを逮捕した。しかし、彼には2件ともアリバイがあることが判明し、疑いが晴れた。1件目は親戚の家に泊まっていたこと、2件目はロンドン・ドックの火災で野次馬見物していたところを警官と会話した記録であった。パイザーとシックは長年の面識があり、パイザーは自分の逮捕は証拠に基づくものではなく、シックの偏見によるものだと主張していた。彼は自分を犯人だと報道した新聞社に対して、少なくとも1社からは賠償金を得ている。また、シック自身はトッテナムのH.T.ハスルウッドから、1889年9月10日付の内務省宛の手紙で、切り裂き事件の犯人だと告発されていた。ただし、これは悪意に基づく告発と判断され、根拠不十分として破棄された。
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