デヴィッド・コーエン
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「切り裂きジャックと疑われた者たち」の記事における「デヴィッド・コーエン」の解説
デヴィッド・コーエン(David Cohen、1865年 - 1889年10月20日)はポーランド系ユダヤ人で、コルニーハッチ精神病院の入院患者。事件当時23歳。病院に収容されたのが1888年12月7日であり、これが殺人事件の終わりと重なっていたために疑われている。コーエンは未婚の仕立て屋で、反社会的かつ貧困者であり、イーストエンドの住人だった。著述家でリッパー学の研究者でもあるマーティン・ファイドは、著書『The Crimes, Detection and Death of Jack the Ripper』(1987年)の中で、コーエンを容疑者として挙げている。ファイドは、今日のアメリカにおいて「ジョン・ドゥ(John Doe)」が用いられているように、「デヴィッド・コーエン」という名前は身元不明者や警察が名前を綴るのに難しいユダヤ人移民を指すために、当時用いられていた仮名だと主張した。そのうえで彼はコーエンを「レザー・エプロン」(#ジョン・パイザーの項を参照)と同一視し、コーエンの正体はホワイトチャペルの靴職人ネイサン・カミンスキー(Nathan Kaminsky)であり、彼には梅毒の治療歴があり、コーエンが現れた1888年半ば以降に行方不明になっていると続けた。ファイドは警察がカミンスキーとコスミンスキーの名前を混同したために、間違った男が疑われたと推測していた(#アーロン・コスミンスキーの項を参照)。入院中のコーエンは、暴力的かつ破壊的な傾向を示し、拘束が必要であった。そして1889年10月に入院中のまま亡くなった。元FBI犯罪プロファイラーのジョン・ダグラスは、著書『The Cases That Haunt Us』において、殺人事件から集められた犯人の行動に関する手掛かりは、すべて「警察にデビッド・コーエンとして知られている・・・ あるいは彼に非常によく似た人物」を指していると主張している。
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