デヴィッド・ケリーとの決別
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:05 UTC 版)
「レナード・ピーコフ」の記事における「デヴィッド・ケリーとの決別」の解説
ピーコフは、オブジェクティビズムをランドが表明した哲学諸原理のみから構成される「閉じた体系」と見なし、これらの諸原理の一部にでも同意しない場合はオブジェクティビズムからの逸脱であると考えている。アイン・ランド協会が宣伝しているのはピーコフのオブジェクティビズム観である。 ピーコフおよびアイン・ランド協会と協働していた哲学者のデヴィッド・ケリーがより柔軟な態度での他派との協働を主張する論説「是認に関する疑問」("A Question of Sanction")を公表した時、「閉じた体系」派と「開いた体系」派の対立が表面化した。ケリーはオブジェクティビズムをランドの著作や信念を超えて発展し得る「開いた体系」と見なしている。ピーコフは「事実と価値」("Fact and Value")という論説でケリーの主張が認識と評価、事実、および道徳価値との関係についてのランドの理解と矛盾すると主張し、ケリーに反論した。ピーコフはケリーは真のオブジェクティビストではないと結論づけ、ケリーに賛同する者はオブジェクティビズム運動から離れるよう要求した。これに対しケリーは1990年に「オブジェクティビスト・スタディーズ研究所(Institute for Objectivist Studies)」を設立した。この研究所は「オブジェクティビスト・センター(The Objectivist Center)」に改称し、最終的にアトラス・ソサイエティとなった。
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