ジャポネズリーの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 23:21 UTC 版)
「ジャポニスム」の記事における「ジャポネズリーの時代」の解説
ジャポネズリー(仏: Japonaiserie)とは日本趣味のことであり、ジャポニスムの前段階として解釈されている。 嘉永年間、黒船来航により多くの商船が西洋から押し寄せた。当時の写真技術と印刷技術により、日本の様子が西洋に広く知られるようになる。他の美術工芸品とともに浮世絵という版画が欧米でまたたく間に人気になった。 ジャポニスムの第一段階は日本の美術品、特に浮世絵版画の熱狂的な収集から始まる。その最初の例はフランスのパリであった。1856年ごろ、フランスのエッチング画家フェリックス・ブラックモンが、摺師の仕事場で『北斎漫画』を目にした。1860年から1861年にかけて出版された日本についての本の中では、浮世絵がモノクロで紹介されている。 シャルル・ボードレールは、1861年に手紙を書いている。 「かなり前になりますが、私は1箱の日本の工芸品を受け取り、それらを友人たちと分け合いました…」 その翌年にはラ・ポルト・シノワーズ(「中国の門」、La Porte Chinoise)という浮世絵を含むいろいろな日本製品を売る店がリヴォリ通りというパリで最もおしゃれな商店街に開店した。 1871年には、カミーユ・サン=サーンスが作曲し、ルイ・ガレが台本を書いたオペラ『黄色い王女』(La Princesse jaune)が公開されたが、その物語はオランダ人の少女が芸術家のボーイフレンドが熱中している浮世絵に嫉妬するというものだった。 ブラックモンによる浮世絵の古典的名作の最初の発見にもかかわらず、当初ヨーロッパに輸入された大半の浮世絵は、同時代である1860-1870年代の絵師によるものだった。それ以前の巨匠たちが紹介され、評価されるのはもう少しあとのことになる。また、同時期のアメリカのインテリたちは、雪舟や周文などのような日本の洗練された宗教的、国家的遺産とは区別されるべきものだと主張した。
※この「ジャポネズリーの時代」の解説は、「ジャポニスム」の解説の一部です。
「ジャポネズリーの時代」を含む「ジャポニスム」の記事については、「ジャポニスム」の概要を参照ください。
- ジャポネズリーの時代のページへのリンク