ジャッロとの出会いでスリラー映画に挑戦
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「ピート・ウォーカー (映画監督)」の記事における「ジャッロとの出会いでスリラー映画に挑戦」の解説
成人男性向けの通俗娯楽映画を濫作していたピート・ウォーカーだったが、1970年にダリオ・アルジェント監督のイタリア製サスペンス映画『歓びの毒牙』(1969年)を見たことからスリラー映画に意欲を示す。ウォーカーは当時の人気女優スーザン・ジョージを主演に迎えて初のサスペンス映画 "Die Screaming, Marianne"(1970年)を監督する。しかし凡庸なメロドラマ調のストーリーと演出によって平凡な完成度にとどまり、本作は特に話題になることもなく終わった。 初のスリラー"Die Screaming, Marianne"が失敗に終わったことでスリラーから遠ざかり、ふたたびソフト・ポルノの製作に戻る。一旦はスリラーから撤退したウォーカーだったが、イタリアのマリオ・バーヴァ監督によるスプラッター映画の名作『血みどろの入江』Reazione a catena (Ecologia del delitto)(1970年)を見たことで再び恐怖映画への意欲が再熱する。 『血みどろの入江』の湖畔の屋敷を舞台に起こる連続殺人という要素からヒントを得て、スリラー第二作の"The Flesh and Blood Show"(1972年)を監督する。廃墟と化した湖畔の劇場に閉じ込められた劇団員たちが一人また一人と殺されていく展開は、『アクエリアス』(1986年)などの1980年代に流行したスプラッター映画を思わせるが、恐怖映画としては緊張感に欠ける凡作にとどまってしまい、興行的にも振るわなかった。 力を入れて製作した"The Flesh and Blood Show" の興行成績が振るわず、ピート・ウォーカーはふたたびソフト・ポルノへと逆戻りする。この時期に監督した『グレタの性生活』Four Dimensions of Greta(1972年)は日本で唯一の劇場公開となったピート・ウォーカー作品であり、3D効果を取り入れたポルノ映画としてちょっとした話題になった。
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