シリウスシンボリの騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 14:50 UTC 版)
「加藤和宏 (JRA)」の記事における「シリウスシンボリの騒動」の解説
加藤がシリウスシンボリと1985年のクラシック戦線に臨む際、同馬の馬主である和田共弘が二本柳に対し、騎手を岡部幸雄に替えるよう要求したことに端を発する騒動。シリウスシンボリは3歳時(1984年)に4戦2勝の成績であったが、敗れた2戦は1位入線も斜行・進路妨害により失格、スタートの出遅れから追い込み届かず2着という内容だった。和田は「加藤はシリウスに乗って一度ならず二度までもミスを犯している。降ろすのが当然だ。競馬というのは強い馬に最高のジョッキーを乗せるのが本来の姿だ。それがファンへの信頼にもつながる。いま日本で最高のジョッキーは岡部だ。だから私は岡部を乗せたい」と二本柳に迫り、対する二本柳は「加藤が岡部に比べて一枚も二枚も見劣るということは断じてないのだから、加藤を乗せる。だいいちデビュー前からゲート難のあったシリウスを一生懸命に矯正して一人前にした加藤の苦労はどうなるんだ」と反発した。和田はシリウスを畠山重則厩舎へ転厩させるが、これが同馬の日常の世話を続けた厩務員に対しても酷薄な仕打ちであるとして、厩務員組合が和田を糾弾する事態となった。折衝の末にシリウスは二本柳厩舎に戻り、「4歳初戦の若葉賞は岡部、日本ダービー前哨戦のNHK杯から加藤」という妥協案で合意した。しかしその後もずっとしこりは残り、それが後の和田の態度に繋がることとなった。 岡部が騎乗したシリウスは若葉賞を快勝したが、加藤で臨むはずだったNHK杯は脚部不安で回避となり、日本ダービーへは直行となった。加藤はこの日本ダービーで冷静な騎乗を見せ、騒動を振り払っての優勝を果たした。競走後のインタビューでは自らの好む映画『ロッキー2』の主人公に倣い、観客の面前で妻の名を叫んだ。和田は風邪を理由として競馬場に姿を見せず、競走後には「加藤のスパートは早すぎた」「ゴール後にガッツポーズをしたのは安全面へのプロ意識に欠ける」といったコメントを出した。日本ダービーのあとシリウスシンボリはヨーロッパ遠征を行い、加藤や二本柳の手を離れることになった。
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