シュルレアリスムへの影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/22 05:14 UTC 版)
「グラディーヴァ」の記事における「シュルレアリスムへの影響」の解説
ヴィルヘルム・イェンセンの小説は今日ほとんど省みられることがないが、この『グラディーヴァ』だけはフロイトの分析によって多くの読者を獲得し現在も版を重ねている。 フランスでは1931年にマリー・ボナパルトによってフロイトの論文が紹介されたことで熱狂的な読者を獲得し、特にシュルレアリスムの作家たちから注目された。『グラディーヴァ』に感銘を受けたサルバドール・ダリは1931年より「グラディーヴァ連作」の制作をはじめており、幾つかの作品タイトルに「グラディーヴァ」を使用している。またダリは当時、妻ガラを「グラディーヴァ」の愛称で呼んでおり、『ガラ -時鐘ガラの肖像』などの、明らかにガラと「グラディーヴァ」とを同一視して描かれた絵画も制作している(種村季弘『グラディーヴァ/妄想と夢』解説)。アンドレ・ブルトンは自著で『グラディーヴァ』からの引用や作品へのオマージュを書くなどしており、1937年にはパリで「グラディーヴァ画廊」を開設し、『グラディーヴァ』をテーマにしたものも含めて様々なシュルレアリスム絵画が展示された。1939年にはアンドレ・マッソンが『グラディーヴァの変貌』と名づけた絵画を制作している。 第2次大戦後には『グラディーヴァ』の名を用いたシュルレアリスム系の雑誌がチリ(1952年)とベルギー(1971年-)で発行されていた。1986年にはミシェル・レリスらによって『グラディーヴァ(Gradhiva 故意にhが加えられている)』という文化人類学・博物学の雑誌が発行されており、現在もケ・ブランリ美術館によって刊行されている。
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