シアトリカル期 - ピーター・ガブリエル在籍時代(1969年 - 1975年)
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ミュージシャン兼プロデューサー、ジョナサン・キングのプロデュースで1969年に『創世記』でデビュー(録音時に、ドラマーはチャーターハウスの級友だったジョン・シルヴァーに交代)。当時はアメリカに同名のバンドが存在したため、バンド名をアルバム・ジャケットにクレジットせずに発売したことや、ジョナサン・キングに気に入られようとビージーズを意識したサウンドだったため、評価は芳しくなかった。プロ意識の欠如を反省したメンバーは、アート・ロックの方向性を強く意識し、練りに練った作品をリリースするようになる。 1970年、大学進学のために脱退したジョン・シルヴァーに代わり、『メロディ・メイカー』誌のメンバー募集広告に応募してきたジョン・メイヒューがドラムを担当し、2作目となるアルバム『侵入』をリリース。その後、アンソニー・フィリップスが健康上の理由で脱退(一説には、ステージ恐怖症だったとも言われている)。フィリップスの代わりにクワイエット・ワールド(Quiet World)のメンバーであったスティーヴ・ハケットが加入。さらに、力量に問題があったジョン・メイヒューの代わりにフレイミング・ユース(Flaming Youth)のメンバーだったフィル・コリンズが加入した。ともに公募によるオーディションで選ばれたメンバーであった。 初期のサウンドはトラッド・フォーク的なアンソニー・フィリップスの資質によるところが大きかったが、新加入のメンバー2人の個性が、バンドのサウンドを大きく変貌させる。そして3作目にあたる『怪奇骨董音楽箱』(1971年)でプログレッシブ・ロック・バンドとしての評価を確立。ピーター・ガブリエルの演劇性を持った独特のステージ・パフォーマンスもあって、イタリアで大人気となる。1975年、ガブリエルが『眩惑のブロードウェイ』ツアーの後に、プライベートな問題を理由に脱退。以降はソロとして活動している。
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