ザ・メスカレロス結成 - 死去まで(1999-2002)
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「ジョー・ストラマー」の記事における「ザ・メスカレロス結成 - 死去まで(1999-2002)」の解説
1990年代半ば、彼は優秀なミュージシャンを集めてバックバンド“ザ・メスカレロス”を結成し、1999年には1stアルバム『X-レイ・スタイル』を発売し、イギリスと北米でライブツアーを開催。2001年には2ndアルバム『グローバル・ア・ゴー・ゴー』をリリース。北米・イギリス・アイルランドでツアーを行う。 2002年11月15日、ロンドン西部のアクトン・タウンでストライキ中のロンドン消防組合のためにチャリティーライブを行う。この日のライブの聴衆の中には、かつてのクラッシュのギタリスト、ミック・ジョーンズがいた。ライヴの途中、ジョーンズはステージへと上がり、ストラマーと共にクラッシュ時代の曲「バンクローバー」を演奏。アンコールではさらに「白い暴動」と「ロンドンは燃えている!」を演奏した。このライブは1983年以来、ジョーとミックが同じステージ上に立った初めてのライブであり、そして最後のライブでもあった。2002年11月22日には最後となるライブをリバプールで行う。この頃、彼はU2のボノと共にネルソン・マンデラが主催するアフリカでのエイズ撲滅運動のために共同作曲を行っており、2003年2月にはロベン島でチャリティーライブを行う予定であった。 同年12月22日、サマセット州ブルームフィールドにある自宅で死去。当初の発表では死因は心臓発作とされたが、解剖の結果、先天性の心臓疾患だったことが判明した。バンドのメンバーであったポール・シムノンとミック・ジョーンズによれば、トッパー・ヒードンを加えた4人でクラッシュがロックの殿堂入り授賞式で再結成することを検討している最中であったという。また、彼自身は、遺作となる3rdアルバム『ストリートコア』を制作中であった。亡くなる前の晩には、クラッシュの殿堂入りに合わせて発売されたベスト・アルバム『エッセンシャル・クラッシュ』の収録曲を選ぶ作業をしていた。 2003年2月に開催されたグラミー賞授賞式では、エルヴィス・コステロ、ブルース・スプリングスティーン、スティーヴ・ヴァン・ザント、デイヴ・グロール(元ニルヴァーナ、現フー・ファイターズ)、ピート・トーマス、トニー・カナル(ノー・ダウト)によって「ロンドン・コーリング」が演奏され、3月にはクラッシュはロックの殿堂入りを果たした。
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