サルトの語源とは? わかりやすく解説

サルトの語源

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 10:21 UTC 版)

サルト人」の記事における「サルトの語源」の解説

サルトは、サンスクリット語商人キャラバン隊長を指す「サールタヴァーハ Sārthavāha」に由来し遊牧民都市住民指して使った呼称起源を持つと考えられている。 「サルト」の呼称最初に使われ出した時期は、定住民のウイグル人ソグド人指して使われた、8世紀から9世紀ごろであると考えられている。文献上の最初用例は、1070年テュルク語による『クタドゥグ・ビリク』とされる同書において、「サルト」は、カシュガル定住民を指して使われており、この時代用例で、サルトイラン系テュルク系ムスリム定住民の総称として使われていたことが分かる13世紀にはじまるにモンゴル時代には、モンゴル語テュルク語中央アジア方面をサルタウル Sarta'ul またはサルタグル Sartaγul などと呼んでいる。チンギス・カン中央アジア遠征以降ホラズム・シャー朝支配地域全般指し、この地域住民はサルタクタイ Sartaqtai と呼んでいた。14世紀はじめのラシードゥッディーンの『集史』では、チンギス・カンが、テュルク系ムスリムであるカルルク族アルスラン・ハンに対してハン」の称号改める換わりに「サルタクタイ」 Sartaqtai の称号与えたと書かれている。『集史』でも「サルタクタイ」は、タージーク同義であるとしている。 また『元朝秘史』巻六によると、のちのチンギス・カンことテムジンモンゴル勢がオン・ハンイルカ・セングン率いケレイト王国敗れバルジュナ湖畔に逼塞していた時、オングト部族の王アラクシ・テギト・クリの使者としてアサン・サルタクタイ(「アサンというサルタク人」の意味)という人物出会いその後勢力盛り返してケレイト王国打倒している。この「アサンというサルタク人」は『集史』などに出てくるチンギス・カン中央アジア遠征活躍していたハサン・ハージーという人物同一とする説が有力で、彼はシルダリヤ川中流のスィグナクの出身だったと伝えられている。『元朝秘史』のこの部分ではサルタクタイ(撒舌児塔黒台 Sartaqtai )を「名字回回」と説明しており、モンゴル帝国元朝においては回回」はタージークイラン系ムスリム)やムスリム一般の意味とされていたので『集史』での説明とも重なる。

※この「サルトの語源」の解説は、「サルト人」の解説の一部です。
「サルトの語源」を含む「サルト人」の記事については、「サルト人」の概要を参照ください。

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