サラブレッド馬主・生産者としてのアーガー・ハーン3世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/31 00:38 UTC 版)
「アーガー・ハーン3世」の記事における「サラブレッド馬主・生産者としてのアーガー・ハーン3世」の解説
アーガー・ハーン3世はサラブレッド競走馬のオーナーおよび生産者として、歴史的な影響力の非常に高い人物でもある。1904年に馬産界の泰斗であるウィリアム・ホール・ウォーカーを知り、同氏の勧めにより第一次世界大戦後に本格的にイギリスでの競馬活動をスタートした。 当時のダービー卿の調教師であるジョージ・ラムトン調教師と、当時の一流の血統評論家であるヴィリエ中佐をアドバイザーとして、1921年以降の競り市で多くの高価な幼駒および繁殖牝馬を買い集め、オーナーとしての最初の10年のうちに4回のリーディングを獲得する大成功を収めた。このうち1922年に購買した牝馬ムムタズマハル(Mumtaz Mahal)は、2歳牝馬として驚異的なスピードを示し "Flying Filly" と呼ばれる活躍を遂げたが、繁殖入りしてからもその子孫からマームード、ナスルーラ、ロイヤルチャージャーなどを輩出し、現在のサラブレッド血統の多くにその血を残している。 また功績として自己が所有していた馬を高額で買い取りたいとの申し出には気前よく応じておりマームード、ナスルーラ、バーラムといった名だたる名馬が海を渡っている。これによりアメリカの血統レベルが大幅に向上され、その後のアメリカの馬が欧州を席巻する要因にもなっている。 エプソムダービーでは5頭の所有馬が勝利しているが、そのうちで最強だったのは、無敗で三冠馬となったバーラム(Bahram)である。また、リーディングオーナーを13回、リーディングブリーダーを9回獲得するという記録を残している。サラブレッド生産事業は息子のアリ・ハーンに引き継がれ、その後3世とアリが1957年に相次いで亡くなると一時中断されたが、後継者のアーガー・ハーン4世は後にサラブレッド馬産を本格的に再開し、現在に至るまで有力な生産者としてフランス・アイルランドを中心に活躍している。 所有馬は日本の馬産にも大きな影響を与えており、セフトやヒンドスタンが種牡馬として日本に輸入されリーディングサイアーを獲得し、幾多の名馬を送り出している。
※この「サラブレッド馬主・生産者としてのアーガー・ハーン3世」の解説は、「アーガー・ハーン3世」の解説の一部です。
「サラブレッド馬主・生産者としてのアーガー・ハーン3世」を含む「アーガー・ハーン3世」の記事については、「アーガー・ハーン3世」の概要を参照ください。
- サラブレッド馬主・生産者としてのアーガー・ハーン3世のページへのリンク