コンゴ民主共和国略史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 06:22 UTC 版)
「日本とコンゴ民主共和国の関係」の記事における「コンゴ民主共和国略史」の解説
1885年、ベルギー王レオポルト2世の私有地「コンゴ自由国」となり、鉄道が敷設されるなど近代化が促進された一方で規定量の象牙やゴムを採集できなかった現地住民は手足を切断されるなど、残虐な植民地政策が実施された。 1908年、ベルギー政府が国王からコンゴ自由国を買い取りベルギー領コンゴとなる。またこの時期から独立運動が展開されるようになる。 1960年、コンゴ共和国(コンゴ・キンシャサ)として独立するもすぐさまコンゴ動乱に突入。ベルギーやソ連の支援を受けて南東部が「カタンガ国」として独立を図る。 1965年、モブツ・セセ・セコが独裁体制を敷く。同時にコンゴ動乱が事実上終結。 1971年、国名をザイール共和国に変更。 1996年、第一次コンゴ戦争が勃発。ルワンダ、アンゴラ、ブルンジ、ウガンダなども介入して翌年にはモブツ・セセ・セコの独裁体制が打倒される。打倒を主導したのはのちに大統領になるローラン・カビラで、それを支援したのはツチ系集団「バニャムレンゲ」であった。 1997年、国名がコンゴ民主共和国に変更される。またローラン・カビラが大統領に就任し、独裁体制を敷く。 1998年、ローラン・カビラがバニャムレンゲを排除する姿勢を占めたことでツチ系とフツ系の対立が激化。第二次コンゴ戦争が勃発し、これはアフリカの多くの国が介入を余儀なくされたことや犠牲者の多さからのちに「アフリカ大戦」と呼ばれるようになる。 2001年、ローラン・カビラが殺害され息子のジョセフ・カビラが大統領に就任。 2002年、プレトリア包括合意にて第二次コンゴ戦争が終結する。 2005年、憲法草案を巡って初めての民主的選挙が実施される。 2019年、大統領選挙の結果フェリックス・チセケディが大統領に就任する。
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