クーデターについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 01:28 UTC 版)
1970年のロン・ノルによるクーデターの背景には不明な点が多い。 ロン・ノルはカンボジア軍のチャム人将校レ・コセムのよき理解者であり、シハヌーク国王を説得して被抑圧民族闘争統一戦線(FULRO、中心人物はレ・コセム及び山岳エデ族のイーバム・エニュオル)の創設を支援した。南ベトナム領メコンデルタのクメール族や中部沿海のチャム族、中部高原の山岳民にとって、シハヌークとロン・ノルは彼らの自治・独立闘争における希望の星であった。 ニクソンが対中政策の見直しを決定したのが1969年、ニクソンの干渉によるFULROの南ベトナム軍への投降・解散も1969年であり、ロン・ノルによるクーデターは、アメリカのアジア勢力圏再分割(インドシナ半島の中国への譲渡)のプロセスの中で行われたものであった。 軍事支援はニクソン大統領の中国訪問後ただちに中止され、ロン・ノル及びカンボジアの反共主義者たちは見捨てられ、亡命したロン・ノルらを除いて親中派のクメール・ルージュによって徹底的に虐殺された(ロン・ノルに任命されたシリク・マタク元首相や弟のロン・ボレト首相も1975年4月17日のプノンペン陥落直後に殺害された)。
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