クーデターと廃位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 16:37 UTC 版)
「アブデュルアズィズ」の記事における「クーデターと廃位」の解説
1871年にかつてタンジマートを牽引したメフメト・エミン・アリ・パシャが死去するとアブデュルアズィズの忠臣のネディム・パシャが大宰相となった。ネディム・パシャは親露派であったため、ネディモフと世間から呼ばれ、また、忠臣を大宰相にしてからはアブデュルアズィズは急速に強権的になっていった。しかし次第に強権政治に不満が高まり、新オスマン人の思想が徐々に広まっていった。 1876年にイスラム学院の学生らが起こした騒擾をきっかけに改革派の支持を背景にしたクーデターがおきた結果、憲政樹立を主張するミドハト・パシャらによって廃位され、甥のムラト5世が即位した。廃位後に幽閉され、その数日後に自殺した。病死とも毒殺ともいわれている。アブデュルアズィズが自殺した部屋はかつてセリム3世が殺害された場所でもあったため、他殺説が当時から囁かれ、のちにアブデュルハミト2世の時代に調査が行われ、他殺であると結論が出された。
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