クーデターと内戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 04:54 UTC 版)
「オバフェミ・アウォロウォ」の記事における「クーデターと内戦」の解説
1966年1月15日チュクマ・カドゥナ・ンゼオグゥ少佐ら率いるクーデタによりバレワ、アキントラ、北部州首相のアフマド・ベロらが殺害された。翌日までに事態を収拾したジョンソン・アグイイ・イロンシ少将が最高軍事評議会を設置して憲法を停止し中央集権化を図ったが、反イボ暴動と共に7月29日参謀総長ヤクブ・ゴウォン中佐、ムルタラ・ムハンマド中佐らに倒された。ゴウォンはアウォロウォらを釈放し、連邦制を復活させ、更なる州の細分化を図った。虐殺を逃れたイボや東部州軍政官となったオジュク中佐はこれに反発し1967年5月30日ビアフラ共和国の独立を宣言し、ビアフラ戦争が勃発した。アウォロウォはビアフラ側と和平交渉にあたり、不調に終わると、軍事政権の財務相としてイボ人の預金を凍結した。アウォロウォは戦争が終わると辞職し選挙に備えた。
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