クーデターによる失脚、亡命、帰国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/23 18:14 UTC 版)
「マーク・ラヴァルマナナ」の記事における「クーデターによる失脚、亡命、帰国」の解説
2009年に野党指導者であるアンドリー・ラジョエリナをアンタナナリボ市長から解任したため対立が悪化し、またラヴァルマナナに公金を横領した容疑が持ち上がり、2009年1月から退陣要求デモが発生。これに対し軍が発砲し犠牲者が出るなど事態は混乱を極めた。ラヴァルマナナはこの事態を受けて、国防相と軍参謀長を解任し、警察相を「健康上の理由」で交代させた。事件に反発した野党側は、外務省、内務保安省、教育省などの政府庁舎を占拠して強硬手段にでたが、2月20日に完全排除された。しかし、野党側は首都での大規模集会を続け、政治対立は解決の目処が立たなかった。 2009年3月15日、ラジョエリナはマダガスカル軍の兵士に対して大統領宮殿を占拠するよう呼びかけ、野党陣営に加わるよう促した。1月のデモで市民に対して実力行使をした大統領に対し軍の一部で不満が高まっていたこともあり、ラジョエリナの呼びかけに呼応する形で17日、野党支持の兵士が大統領宮殿を占拠した。ラヴァルマナナは別の宮殿におり、事件には遭遇しなかったものの同日中に大統領を辞任し、軍に権限を委譲した(マダガスカル・クーデター)。 ラジョエリナを首班とする暫定政府発足後、ラヴァルマナナは南アフリカ共和国に亡命。2013年の民政復帰を目指す大統領選挙には夫人のララオ・ラヴァルマナナも立候補を表明したが、その後特別選挙法院によって違法な立候補者と認定され、選挙に立つことはできなかった。 2014年10月、亡命先の南アフリカから帰国したものの拘束され自宅に軟禁されていたが、2015年5月に釈放された。
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