ギリシャ軍事政権とサンプソン政権の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:25 UTC 版)
「キプロス紛争」の記事における「ギリシャ軍事政権とサンプソン政権の崩壊」の解説
トルコとの戦争への警戒が強まったギリシャでは国家総動員令が発動され、トルコとの国境であるマリツァ川 (en) には一触即発の危機が迫っていた。しかし、内部で汚職が横行していたギリシャ軍は開戦に必要な態勢を整える事が出来ず、実際に戦闘を行う立場の海軍と空軍も命令を拒否。ついにはトルコ、ブルガリア国境方面を守備する陸軍第3軍がイオアニディス、キジキスら政府首脳の辞任を求める事態に至り、ギリシャ軍事政権は第3軍との交渉とキプロスでの停戦の実現を最優先課題とせざるを得ない状況に追い込まれた。 同時期、アメリカではキッシンジャーを中心とする『ワシントン特別行動グループ』がギリシャの事態をどう処理するかについて議論が行なわれていた。キッシンジャーは国連本部へ出向き、マカリオスと秘密会談を行った。その会談の内容は未だに明らかではないが、会談終了後、キッシンジャーとマカリオスは握手で記者会見に応じた。 ここにおいて打つ手を全て失ったギリシャ軍事政権は、キジキスと軍首脳・旧政府要員とで会合を持ち、民政移管とコンスタンディノス・カラマンリスの首相任命を決定。7月24日早朝、亡命先のパリから帰国したカラマンリスは首相就任の宣誓を行い、軍事政権は崩壊した。 軍事政権樹立前の王制ギリシャにおいて長年首相を務めたカラマンリスのギリシャ政界復帰はキプロスにも連鎖反応を示すこととなり、サンプソン大統領と全閣僚が辞職することとなった。政権を担ったのは僅かに8日間であった。後任にはグラフコス・クレリデス (en) が就任したが、結局、このクーデターによって生まれた政権はどこも承認せず、後押ししたギリシャでさえ承認することはなかった。
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