ギリシャ軍のイズミル上陸
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「希土戦争 (1919年-1922年)」の記事における「ギリシャ軍のイズミル上陸」の解説
詳細は「イズミル上陸」および「イズミル占領」を参照 1919年5月15日には、イギリスの支援を得て、休戦協定に違反して小アジア西岸の港湾都市イズミル(土: İzmir、希: Σμύρνη - Smyrni)にギリシャ軍が上陸した。イズミル、アイワルクなどアナトリア半島のエーゲ海沿岸諸都市にはギリシャ人共同体が存在し、これらの保護が名目となった。 一方、オスマン帝国軍のムスタファ・ケマル・パシャは第一次世界大戦時のガリポリの戦いにおいてオスマン帝国第19師団およびアナファルタラルを指揮し「アナファルタラルの英雄」と称され、スルタンメフメト6世の信任も厚かった。1918年9月23日にはスルタンの名誉副官(Yaver-i Fahri Hazret-i Şehriyari)の称号を受けることになる。ケマルは、第9軍(6月15日に第3軍と改称された)監察官に任命され、1919年5月19日、黒海沿岸の都市サムスンに上陸した。ケマルは旧青年トルコ党員を中心とする帝国議会議員、軍の司令官に呼びかけ、アナトリアの分割反対を唱えて「アナトリア・ルメリア権利擁護委員会」を結成し、抵抗組織を旗揚げした。 1919年6月27日、アイドゥンの戦い(英語版)(6月27日-7月4日)。 1920年3月16日にイギリス、フランスを中心とする連合国によって首都イスタンブールを占領されると、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}帝国議会議員の大半はイスタンブールを脱出し、権利擁護委員会に加わった上で[要出典]アンカラにおいて大国民議会を開いた。議会は連合国の占領下にあるイスタンブール政府に代わって自らの正統性を主張し、ケマルを首班とするアンカラ政府を結成した。
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