キャラと演技性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 08:41 UTC 版)
「キャラ (コミュニケーション)」の記事における「キャラと演技性」の解説
周囲から与えられるキャラに即した振る舞いをするという意味ではキャラ的なコミュニケーションは演技性を帯びたものであるといえる。もっとも、人間が日常生活をおくる上でも無意識に演技の切り替えを行っているということは以前から社会学者のアーヴィング・ゴッフマンが指摘していることである。 ただし、実際に若者を対象とした調査では必ずしも意識的にキャラを演じていると答える者が多数派ということではない。2009年から2010年に神奈川県の公立中学校の生徒2874名に対して実施されたアンケート調査 では、「自分の気持ちと違っていても、人が求めるキャラを演じてしまう」という質問に対する肯定的な回答はほぼ1/3である。この調査を行った教育学者の本田由紀は、少数でない割合とはいえ6割以上はキャラをつくらずにコミュニケーションを行っていることになるため若者のキャラ演出という現象を過剰に重視すべきではないだろうと述べている。元お笑い芸人の研究者である瀬沼文彰による若者へのインタビュー調査でも、キャラを演じている意識があるのは58人中10人と少数であった。 キャラによるコミュニケーションといっても興ざめするほど演技性が見え透いてしまうのは嫌われる傾向もある。そのため、集団に対して行った瀬沼文彰のインタビュー調査では周囲の他者に配慮して演技していないと答えた者が多かったとも考えられる。演技性の無いニュートラルな状態は若者言葉で素(す)といわれるが、実際には「素という演技しない状態を演技している」 あるいは「(キャラと素をはっきりと使い分けるというより)両者の配分のバランスを調整しながらコミュニケーションをとっている」 という面があるともいえる。社会学者の太田省一によると、キャラをめぐる遊戯的なコミュニケーション(キャラゲーム)においてはキャラの演技を完遂できずに素が露呈することは織り込み済みであり、演技の破綻によって結果的に当人の素の人間性が確認されるという形で共同体への帰属意識が強化されるというような効果があるのだとしている。
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