ガスパールとエイボンの書とは? わかりやすく解説

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ガスパールとエイボンの書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 10:11 UTC 版)

イルゥルニュ城の巨像」の記事における「ガスパールとエイボンの書」の解説

ガスパール・ド・ノールは、作中ではエイボンとのつながり全くないが、「エイボンの書」翻訳者としてクトゥルフ神話取り込まれるようになった。 「白蛆の襲来」は『エイボンの書』の第9章に当たり、とスミス1933年9月16日付のラヴクラフト宛の書簡で、この作品はガスパール・デュ・ノールによるフランス語の手稿から英語に翻訳したものだと説明している。この設定についてリン・カーター短編エイボンの書歴史と年表』で補足している。ラヴクラフト1933年12月13日付のスミス宛書簡で『エイボンの書フランス語版成立12世紀としているが、「イルゥルニュ城の巨像」で語られているのは13世紀後半の出来事であるためカーターラヴクラフトの説を誤り断じガスパールによる翻訳時期13世紀修正したガスパール翻訳に際して用いた底本スミスラヴクラフト詳らかにていないが、カーターギリシア語版であるとし、ナテールが持っていたのと同じものであろう推定したカーター構想して没後後継者実現させた実書籍「エイボンの書」は、ガスパールノルマンフランス語版を現代英語翻訳したものとい体裁とっている。 ガスパールによる『エイボンの書』の翻訳についてラヴクラフト論じた書簡日付は「イルゥルニュ城の巨像」の発表よりも先行しているが、彼は1933年7月スミスから原稿送ってもらっており、実際に作品読んだ上で考察である。1933年10月10日付のラヴクラフト宛書簡においてスミスLe Livre d'Eibonなる題名を『エイボンの書フランス語版与え、これと類似するラテン語題名Liber Ivonisがラヴクラフト1933年12月13日スミス宛書簡に見られるしかしながら両者同一であるかどうかについてラヴクラフト言葉を濁し、いずれ学者たちが取り組むべき課題であると述べるにとどめた

※この「ガスパールとエイボンの書」の解説は、「イルゥルニュ城の巨像」の解説の一部です。
「ガスパールとエイボンの書」を含む「イルゥルニュ城の巨像」の記事については、「イルゥルニュ城の巨像」の概要を参照ください。

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