カブス〜2度のワールドシリーズ優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:06 UTC 版)
「シカゴ・カブス」の記事における「カブス〜2度のワールドシリーズ優勝」の解説
その後、1894年にコルツ、1898年にオーファンズとチーム名を変え、1903年に現在のカブス(小熊を意味する)に定着した。かつてボストン・ビーンイーターズ(現:アトランタ・ブレーブス)を5度のリーグ優勝に導いたフランク・セレーによるチーム再建は20世紀に入り徐々に成果を挙げ始めていたが、セレーは1905年のシーズン途中に結核のため監督を退き、フランク・チャンスが選手兼任監督に就任した。「比類なきリーダー」と言われたチャンス率いるカブスは、1906年にはシーズン最多記録となる「116勝」を挙げリーグ優勝を果たした。この頃のカブスは「スリーフィンガー(三本指)」の愛称で知られるモーデカイ・ブラウンをはじめ、エド・ロイルバック、ジャック・フィースター、カール・ラングレン(英語版)、オーバル・オーバーオール(英語版)といったシーズン防御率1点台で投げきれる投手を多く抱える投手王国を形成し、一塁手チャンス、二塁手ジョニー・エバース、遊撃手ジョー・ティンカーによる内野陣は多くの併殺プレーを見せた。初めて挑んだワールドシリーズでは同じシカゴを本拠地とするシカゴ・ホワイトソックスと対戦。この年のホワイトソックスもエド・ウォルシュをはじめとした強力な投手陣を擁していたが、「ヒットレス・ワンダーズ(英語版)」と呼ばれたように極度の貧打のチームであり、戦前の予想では攻守共に圧倒的なカブスが有勢と見られた。しかしシリーズではホワイトソックスの強力な投手陣の前にカブス打線が沈黙し、結果2勝4敗で敗れた。 1907年も107勝をあげ、リーグ2連覇。雪辱を期すワールドシリーズではタイ・カッブを擁するデトロイト・タイガースと対戦した。そして今度はカブス投手陣がタイガース打線を抑え込み、4勝1敗でこれを下して初のワールドシリーズ優勝を果たした。 1908年はニューヨーク・ジャイアンツとの激しい首位争いを演じ、プレーオフの末にリーグ3連覇。2年連続でタイガースとの対戦となったワールドシリーズも4勝1敗で制し、2年連続のワールドシリーズ優勝を果たした。
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