カトリック教会における縁故主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 05:42 UTC 版)
「縁故主義」の記事における「カトリック教会における縁故主義」の解説
カトリックには、古くから聖職者制度というものがあるが、カトリックの聖職者は結婚したり跡継ぎの子供を作る事は認められていないだけでなく、いかなる性的活動も慎むものとされている(いくつか理由づけはあるが、そのひとつには信仰組織が 世襲制によって いつしか自分の子供ばかりを偏愛する者たちの巣窟のようになってしまうような事態を防止する意図もあった)。 カトリック聖職者によるイエスの戒めに反する行い だが、中世ヨーロッパではカトリック聖職者は様々な特権を持つようになっていて、特に司教や修道院長、枢機卿といった上級の聖職者は、世俗諸侯と変わらない権力を持つまでになってしまった。そのような状態になったところ、親族の子供(甥)に様々な便宜を与えたり、実質的な後継者とする事が行われるようになってしまったので、これを(批判も込めて)「nepotismo ネポティズモ」と呼ぶことが始まった(イタリア語の「nepote」「nipote」は「甥」「姪」「孫」といった意味の語で、 つまり、あえて訳せば「甥っ子主義」や「姪っ子主義」といったような表現である)。 また、ローマ教皇に就任した際には、自身の支持基盤強化を兼ねて甥や縁故者を枢機卿に取り立てる例がしばしば見られた。この時おじによって枢機卿に任命された人物の中には、自らが教皇となった例もある(ピウス2世とピウス3世、シクストゥス4世とユリウス2世など)。 さらには、公的には結婚・妻帯が禁じられていたカトリックの聖職者が、密かに儲けてしまった庶子を「甥」と偽ることまでもあった。ルネサンス期になると、そうした規則違反が半ば公然と行われるようになってしまった。 その代表例としてしばしば挙げられるのが、教皇アレクサンデル6世の庶子、チェーザレ・ボルジアである。また、パウルス3世も実の孫アレッサンドロ・ファルネーゼを14歳にも関わらず枢機卿に任命した。 縁故主義禁止の明文化 1692年に教皇インノケンティウス12世が教皇勅書「ロマーヌム・デチェット・ポンティフィチェム」(Romanum decet Pontificem)を発布し、教皇が、親族に財産、土地、利益を与える事の禁止を明文化したことにより、カトリック教会の縁故主義は終焉を迎えた。
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