オートモーティブ:部品規格から工業規格への変遷
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「SAE International」の記事における「オートモーティブ:部品規格から工業規格への変遷」の解説
設立時の参加メンバーは30程のちいさなものだったが、徐々に増え、1916年には約1800メンバーに達した。この時点でSAEは自力で推進する交通運輸手段 (航空機、船、農業機械なども含む) すべてをカバーする役割を担うまでに成長していた。 1916年の年次総会では全米航空技術者会 (the American Society of Aeronautic Engineers)、トラクター技術者会 (the Society of Tractor Engineers)、さらには、パワーボート業界の代表も参加し、それぞれの業界での技術標準についてSAEにゆだねるようになった。モビリティに関連するあらゆる職業に従事する技術者を代表する会となったのである。航空工学はまだこれからの学問であり、当時の誰もが、短期間に世界の歴史に重要な役割を果たすものとは思ってもいなかった。「航空技術者もソサエティに参画したほうがいい」との考え方を早くから示した著名人には、トーマス・エジソン、グレン・カーティス、グレン・マーティン (Glenn Martin)、オーヴィル・ライトらがいた。 SAEメンバーである、エルマー・スペリーにより、新たに『オートモーティブ (automotive)』という言葉が提起された。ギリシア語の autos は英語の self を意味し、ラテン語の motivus は英語で of motion を意味する。これにより、「(どんな形のものであっても、) それ自体が (self) 動力を持つ (powered) 乗り物 (vehicle)」ということを意味した。そして、「The Society of Automobile Engineers」は「the Society of Automotive Engineers」と名称を変更した。 デルコの共同創業者であり、自動車のセルフ・スターターを発明し、長らくGMの研究所を率いたチャールズ・ケタリングもまた、第一次世界大戦中、SAEを統括している。
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