オートモ号の発表会
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1924年(大正13年)8月の試走完了で、オートモ号は車両としてはほぼ完成したが、開発を担う技術者も製作を担う工員も量産乗用車の製造に携わった経験は無論なく、市販する上で問題となるのは生産体制だった。 当時の白楊社の従業員たちは部品さえ製造できればよいというような考えで、組み立てて調整する必要があるといったことすら理解されておらず、面倒な仕事に耐えかねた数名が退職を願い出るような有様となる。彼らを納得させるために、豊川はオートモ号の発表会を行うことにした。 同年の11月15日から17日の3日間で行われた発表会では、白楊社の従業員がオートモ号の分解組立を実演披露するという趣向が行われた。これは来場者にオートモ号の出来栄えをつぶさにみてもらうためのものでもある。初めは従業員たちからは1日に1回もできないと考えられていたが、当日は3名で1日に10数回も分解組立をこなせるほどに習熟していた。こうして、社内でも自動車の知識を付ける者が次第に増え、オートモ号の初期の生産体制が形を成していくことになる。
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