オペル時代 (1982–83)
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「ヘンリ・トイヴォネン」の記事における「オペル時代 (1982–83)」の解説
1982年シーズンに向けて、トイヴォネンはロスマンズがスポンサーするオペルのワークス・チームに加入した。チームメイトは1981年のWRC王者アリ・バタネン、1980年・1982年のWRC王者ヴァルター・ロール、そして1981年の英国ラリー選手権チャンピオンであるジミー・マクレー(1995年WRC王者コリン・マクレーの父)だった。オペル・アスコナ400での初戦となったラリー・ド・ポルトガルで、トイヴォネンは残り5ステージの時点でリタイアするまで首位に立っていた。その後のシーズンでトイヴォネンが参加したWRCイベントは4戦にとどまったが、そのうちアクロポリス・ラリーとRACラリーの2戦では表彰台に立った。トイヴォネンはまた、1982年のイギリス・フォーミュラ3選手権の1戦にゲスト選手として参加し、ラルト・RT3を操って10位で完走したほか、この年シルバーストン・サーキットで行われたマーチF1チームのテストにも参加し、F1マシンでレギュラードライバーのラウル・ボーセルを上回るラップタイムを記録した。 1983年のWRCシーズンもトイヴォネンはオペル・チームにとどまり、新たにグループBカーであるオペル・マンタ400をドライブしたが、マンタ400のエンジンはランチアやアウディのグループBカーに比べパワーが不足していた。シーズン中、トイヴォネンは3戦でリタイアし、ラリー・モンテカルロで6位、ラリー・サンレモで4位に入賞するにとどまった。10月下旬には、スポーツカーのポルシェ・956でヨーロッパ耐久選手権に参戦し、デレック・ベル/ジョナサン・パーマーと組んだムジェロでの6時間レースでは3位に入った。
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