オペラ騒動とは? わかりやすく解説

オペラ騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/18 07:29 UTC 版)

オペラ騒動
The Cat Above and the Mouse Below
監督 チャック・ジョーンズ
モーリス・ノーブル
原案 マイケル・マルチーズ
チャック・ジョーンズ
製作 チャック・ジョーンズ
レス・ゴールドマン
出演者 テランス・モンク[1]
音楽 ユージン・ポッタニー
製作会社 Sib Tower 12 Productions
配給 メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
公開
  • 1964年2月25日 (1964-02-25)
上映時間 6:27
言語 英語
イタリア語(オペラ歌唱時)
テンプレートを表示

オペラ騒動』(原題:The Cat Above and the Mouse Below、1964年製作)はチャック・ジョーンズ期のトムとジェリーの作品のひとつ。シリーズ通算129作目であり、チャック・ジョーンズ期2作目である。

作品内容

大勢の人ごみがごった返す夜のコンサート会場。そこでは有名なバリトン歌手トーマシノ・キャッティ・カザーザ(トム)のコンサートが行われようというのだ。

曲目は『セビリアの理髪師』のカヴァティーナラ、ラン、ラ、レーラ…町のなんでも屋に』。

騒がしい会場も彼が歌い始めると静まり返った。しかし、ステージの下にはジェリーの寝床があった。ジェリーは枕元で眠りについていたがトムの歌声に起こされてしまい一向に眠れない。

我慢できなくなったジェリーは抗議代わりに天井(トムから見れば床)を歯ブラシで突くがあべこべにトムに足を踏み出されやられてしまう。それからコンサートが進む中、ジェリーの抗議とトムの反撃が繰り返される。

そのうちにジェリーがトムの頭上におもりを落としトムは舞台下へと落とされてしまう。

会場はしばらく静まり返っていたが、舞台袖から歌声が聞こえてきた。それはジェリーだった。トムが床下でうんざりたたずむ中ジェリーがクライマックスを閉め、会場は大盛況につつまれながら幕を閉めるのであった。

備考

作品の最後に、ジェリーが歌い終わって幕を閉めた後に「THE END」の文字が出現する独自の演出が用いられている。

登場キャラクター

トム
バリトンオペラ歌手「トーマシノ・キャッティ・カザーザ」を名乗り専用高級リムジンに乗って登場。だが本番中ジェリーに幾度となく邪魔され、その都度ジェリーを追放して歌い続けるも、最後はジェリーから天井に吊り下げられていたおもりをぶつけられ床下へと落とされる。
ジェリー
今回はコンサートステージの床下に住んでいる。けたたましい歌声を響かせるトムに様々ないたずらを仕掛ける。トムに追放されてもひるまず、「天井に吊り下げられていたおもりをぶつけてトムを床下に落とす」仕返しでとどめを刺す。最後はトムからオペラ歌手の座を奪い取り、観客の拍手喝采を浴びた。

関連作品

1952年の作品。テックス・エイヴリー監督。スパイクがこのセビリアの理髪師の「ラ、ラン、ラ、レーラ…町のなんでも屋に」を歌う作品。下記の2作品は今作を手掛けたチャック・ジョーンズ監督による作品。
  • セビリアのラビット理髪師(原題:Rabbit of Seville)
1950年の作品。バッグス・バニーがセビリアの理髪師の曲に合わせてエルマーをからかうというもの。
  • 魅惑の蛙
1955年の作品。この作品に登場するミシガン・J・フロッグがこの「町のなんでも屋に」を歌うシーンがある。

また下記の2作品は、ジョーンズのワーナー時代の先輩であるフリズ・フレレング監督による作品。

  • アニメキャラはツラいよ(原題:You Ought to Be in Pictures)
1940年の作品。ダフィー・ダックが当時のプロデューサーであるレオン・シュレジンガーに向かって「町のなんでも屋に」を歌うシーンがある。
  • 迷惑なオペラ(原題:Back Alley Oproar)
1948年の作品。序盤にシルベスター・キャットがセビリアの理髪師に合わせて歌い、エルマーに嫌がらせをするというシーンがある。

脚注

  1. ^ Scott, Keith (2022). Cartoon Voices Of The Golden Age, 1930-70. BearManor Media. pp. 145. ISBN 979-8-88771-010-5 

関連項目


オペラ騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/07 01:52 UTC 版)

共和国広場 (ベオグラード)」の記事における「オペラ騒動」の解説

国立劇場のちょう向かいにある、現在のゾラン・ジンジッチ博士広場のある一帯は、かつて将来オペラ座となるとされていた。しかし、2000年代にはいって政府が、1989年建てられショッピング・モール「スタクレナツ」を「役目終えた」として取り壊し画廊建造することに決めたため、論争を呼ぶこととなった計画では、オペラ座は、ノヴィ・ベオグラード区・ウシュチェ(Ušće)地区の、居住者のいない湿地建造するとされた。一般大衆オペラメンバーたち、それに著名な建築家その他の芸術家たちの反対にかかわらずベオグラード市政府や市の建築家・ジョルジェ・ボビッチは、オペラ座がこの場所に造られないのは既に決定済みだとした。

※この「オペラ騒動」の解説は、「共和国広場 (ベオグラード)」の解説の一部です。
「オペラ騒動」を含む「共和国広場 (ベオグラード)」の記事については、「共和国広場 (ベオグラード)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「オペラ騒動」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「オペラ騒動」の関連用語

オペラ騒動のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



オペラ騒動のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのオペラ騒動 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの共和国広場 (ベオグラード) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS