オペレッタ『猫と鼠』とは? わかりやすく解説

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オペレッタ『猫と鼠』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/19 08:34 UTC 版)

ヨハン・シュトラウス3世」の記事における「オペレッタ『猫と鼠』」の解説

1898年初めヨハン3世三幕のオペレッタ『猫と鼠』の作曲取りかかったオペレッタ台本に強い印象持った伯父ヨハン2世は、弟エドゥアルト宛ててこう書いた。「台本優れていると思う。私も何年もの間、良い台本探していたのだが、駄目だった。ヨハン3世は私よりも運に恵まれている。彼のまさしく最初の(たぶん最後の)オペレッタ大成功だよ。」 1898年12月23日、『猫と鼠』はアン・デア・ウィーン劇場初演された。演出配役台本いずれも大好評だったが、作曲家貢献度についての評価はさまざまであった地味ながらも楽しい旋律詰まっていることは認められたが、特に『ノイエ・フライエ・プレッセ』の音楽批評家は、次のように不満を述べた。 筋はもっと早く進めることが必要だ長ったらしい歌があれやこれやしょっちゅう出てきて、いつも中断されいっこうにはかどらない。……作曲者親の七光り背負っているのだから、デビュー前に、もっとしっかり自覚を持たなければならないとか、客席ではいろいろきびしい声が聞かれた。この名前で売る商品は、羊頭狗肉であってならないのだとも。もしシュトラウス氏が、血迷って自分には大変な才能があると思い込んでいるとしても、まずは偽名つつましやかに登場したほうが奥ゆかしくはなかったか。彼が本当に世に認められる見極めをつけるためにも……。 ヨハン3世自身こうした批判があることは知っており、1899年1月6日友人にこう手紙書いている。「とにもかくにも14回の公演持てたのは、ひとえにすぐれた制作のおかげと感謝するしかありません。」オペレッタ劇中に登場した旋律から作品9までが生み出され初演同時にピアノ譜オーケストラ譜が出版された。 1899年ヨハン3世文部省退職して音楽専念することにした。しかし、デビューしてからわずか半年後の同年6月3日伯父ヨハン2世死去しヨハン3世は「ワルツ王」という最大後ろ盾失ってしまった。1901年には父エドゥアルト引退を表明する。

※この「オペレッタ『猫と鼠』」の解説は、「ヨハン・シュトラウス3世」の解説の一部です。
「オペレッタ『猫と鼠』」を含む「ヨハン・シュトラウス3世」の記事については、「ヨハン・シュトラウス3世」の概要を参照ください。

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