ジミー・マクレー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/14 03:36 UTC 版)
| ジミー・マクレー | |
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93年スコットランドにて
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 生年月日 | 1943年10月28日(82歳) |
| WRCでの経歴 | |
| 活動時期 | 1976年 - 1989年 |
| 所属チーム | ボクスホール、オペル、MGローバー、三菱 |
| 出走回数 | 20 |
| チャンピオン回数 | 0 |
| 優勝回数 | 0 |
| 表彰台回数 | 2 |
| ステージ勝利数 | 56 |
| 通算獲得ポイント | 626 |
| 初戦 | 1976 RACラリー |
| 最終戦 | 2004 GB |
ジミー・マクレー(Jimmy McRae、1943年10月28日 - )はイギリス人のラリードライバー。スコットランドのラナーク出身。世界ラリー選手権 (WRC) ドライバーのアリスター・マクレーと1995年WRCチャンピオン、コリン・マクレーの父親である。ラリードライバーとしての仕事とは別に、故郷で配管業を営み続けている。
英国ラリー選手権では1981年、1982年、1984年、1987年、そして1988年の5度のタイトルを獲得した。ヨーロッパラリー選手権では1982年に2位だったにもかかわらず、WRCでの最高位は1987年の25位であった。
キャリアを通して、マクレーは多くのチームに所属した。ロスマンズ・ラリーチームではオペル・マンタ400に搭乗した。ロスマンズで彼のチームメイトだったのはアリ・バタネン、ワルター・ロール、そしてヘンリ・トイヴォネンだった。そしてMG・メトロ6R4のドライバーへと進む。1989年のアクロポリスでは三菱ワークスからギャランVR-4を操り総合4位入賞を果たした。
モータースポーツからほぼ引退した近年でも、ヒストリックラリーやスコットランドラリー選手権、ラリーGBに参戦している。2006年にはストバートモータースポーツのスポンサードを受け、ロジャー・アルバート・クラーク・ラリーにフォード・エスコートMk2を駆り出場し優勝を手にした。
2008年9月、前年にヘリコプター事故で死去した息子のコリン・マクレーを追悼する「コリン・マクレー・フォレスト・ステージ・ラリー」に参加し、ポルシェ・911に乗った。イベントにはハンヌ・ミッコラ、アリ・バタネン、ビヨン・ワルデガルド、スティグ・ブロンクビスト、マルコム・ウィルソン、アンドリュー・コーワンらも参加した。
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