ポルシェ時代 (1984)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/07 17:36 UTC 版)
「ヘンリ・トイヴォネン」の記事における「ポルシェ時代 (1984)」の解説
1984年シーズンを前にオペル・チームを離れたトイヴォネンは、最終的にロスマンズがスポンサーするポルシェのワークス・チームと契約し、 ポルシェ・911 SC RSで1984年のヨーロッパ・ラリー選手権(ERC)に参戦することとなった。ポルシェのチームはプロドライブによって運営されており、その代表者であるデビッド・リチャーズはトイヴォネンのオペル時代の上司だった。この年のERCでトイヴォネンは5戦連続で優勝するなど成功を収め、ランチアのカルロ・カポネ(イタリア語版)を従えて選手権をリードしていた。しかし、トイヴォネンはシーズン途中に背中を負傷し、回復まで約2カ月の休養を要したためタイトル獲得の望みは絶たれた。数戦を欠場したトイヴォネンはカポネに次ぐ選手権2位でERCシーズンを終えた。 この年のトイヴォネンは、ERCと並行してWRCにもランチアのワークス・チームから5戦に出場する契約を結んでいた。ランチア・ラリー037での初戦となった1984年のラリー・ド・ポルトガルで、トイヴォネンは2年前のオペルでの初戦と同様に、いくども最速タイムを記録して序盤から首位に立ったものの最後にはリタイアを喫した。2年前のリタイアはクラッチの故障が原因であったが、今回はトイヴォネン自身の運転ミスによるクラッシュだった。その後アクロポリス・ラリーでもリタイアに終わったが、地元開催の1000湖ラリーでは3位に入った。前述した背中の負傷により、参加予定だったラリー・サンレモとRACラリーには出場できなかった。ラリー・サンレモの直前、マルク・アレンがランチアとの契約を更新し、ランチア・チームを指揮するチェーザレ・フィオリオは、トイヴォネンとも同様の2年契約を結ぶことを希望していると明らかにした。トイヴォネンは、ランチアのフルタイムの契約ドライバーとして1985年シーズンにのぞむことを決めた。
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