ポルセンナとの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 23:39 UTC 版)
「プブリウス・ウァレリウス・プブリコラ」の記事における「ポルセンナとの戦い」の解説
紀元前508年も続けて執政官となると、タルクィニウスの亡命先であるエトルリアの都市クルシウムの王、ラルス・ポルセンナの軍勢にローマを包囲された (ローマ包囲戦)。ウァレリウスはローマ軍の陣頭指揮を執り、スカエウォラやホラティウス・コクレス(英語版)の決死の働きもあってポルセンナを撃退し和平に持ち込むと、翌年も続けて執政官を務めた。 翌年、ポルセンナから「タルクィニウスを復位させるべし」とする使節が来た。ローマはクルシウムに使節を派遣し、断固として認められない事を堂々と訴えた。ポルセンナはそれを認め、タルクィニウスはトゥスクルムに亡命する事となったという。
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