オセアニア時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 03:14 UTC 版)
「ボブ・フィッシモンズ」の記事における「オセアニア時代」の解説
1863年5月26日、イギリスのコーンウォール州、ヘルストン(英語版)で産まれると9歳の時に家族と共にニュージーランドへ移住した。カンタベリー地方のティマルという町に居を構えると、そこで兄ジャレットの鍛冶屋で鍛冶職人になった。 1880年から1881年の間にジェム・メイストーナメントという大会の優勝者になった。81年後半にはプロボクサーになっているらしく、記録によればハーバート・スレイドという選手を2RKOしたとされるが、ファイトマネーを受け取ったかは定かではない。フィッシモンズはそこで6試合(内、2試合はベアナックル)行い、5勝1敗の戦績を残したが、これらの試合で報酬を受け取ったかも記録では定かではない。 公式な記録によれば1883年からフィッシモンズはオーストラリアでプロボクサーとして活動したことになっている。初戦をジム・クロウフォードという選手に3RKO勝ちで飾っている。28試合をオーストラリアで行った。1890年2月10日にオーストラリア国内ミドル級王座に挑戦し失敗した(噂では八百長試合だといわれている)。その後にエドワード・ロリンスに9RKO勝ちした。この時点でフィッシモンズは古豪ジェム・メイス(ベアナックル時代の元世界ヘビー級王者)の技術と鍛冶職人時代に培ったパワーを生かし、大振りのパンチを主体とするスタイルが主流だった当時において、近距離でジャブを主体とするという革新的なスタイルを確立していた。1890年3月1日のプロフェッサー・ウェスト戦を最後にアメリカを主戦場に移した。
※この「オセアニア時代」の解説は、「ボブ・フィッシモンズ」の解説の一部です。
「オセアニア時代」を含む「ボブ・フィッシモンズ」の記事については、「ボブ・フィッシモンズ」の概要を参照ください。
- オセアニア時代のページへのリンク