エクリチュール・フェミニン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 04:47 UTC 版)
「女性解放運動 (フランス)」の記事における「エクリチュール・フェミニン」の解説
エレーヌ・シクスー 権威主義的な既成秩序に抗議する学生運動に端を発した五月革命の精神を受け継ぎ、高等教育の民主化を目指す新しい高等教育機関「ヴァンセンヌ大学」の創設(1969年)にジャック・デリダ、フランソワ・シャトレ、ジル・ドゥルーズ、ジャン=フランソワ・リオタール、ミシェル・フーコー、アラン・バディウ、ミシェル・セール、ダニエル・ベンサイドらと共に参加したエレーヌ・シクスーもまた、1974年に同大学内に「女性学センター」(現在のパリ第8大学「女性学・ジェンダー研究センター (CEFEG)」) を創設し、フランスのみならず欧州の女性学研究においても先駆的な役割を果たすことになった。とりわけ、1975年に『ラルク(フランス語版)』誌のシモーヌ・ド・ボーヴォワール特集号「女性の闘い」に発表したシクスーの「メデューサの笑い」は、女性の存在と自己実現を妨げる多くの束縛を打ち破る(女が書く・女を書く)エクリチュール・フェミニンとして、特に英米圏で「フレンチ・フェミニズム」の先駆けとされた。 リュス・イリガライ 当時、ヴァンセンヌ大学で女性の身体・セクシュアリティ、母・娘の関係などを主なテーマとする講座を担当していたリュス・イリガライも、フークやMLF運動家らに講座への参加を求めるなどMLFとの関係を維持しながら、エクリチュール・フェミニンを探究した。1974年に、西欧哲学・精神分析学のファルスロゴス中心主義を批判した博士論文「検視鏡、他なる女性について」により、ヴァンセンヌ大学およびジャック・ラカンが創設したパリ・フロイト派を追われることになったが、1977年には代表作『ひとつではない女の性』、以後も『性的差異のエチカ』(1984)、『差異の文化のために――わたし、あなた、わたしたち』(1993) などを著し、女性のセクシュアリティを語ることで抑圧的表象秩序の転覆を図ろうとした。
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