エキシビジョン・シリーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 16:07 UTC 版)
「サブウェイ・シリーズ」の記事における「エキシビジョン・シリーズ」の解説
1940年以前に行われた、ヤンキース対ジャイアンツの5度のサブウェイ・シリーズに加え、この2チームは幾度かエキシビジョン・シリーズ (exhibition series) でも対戦している。この対戦は別名"シティ・シリーズ" (City Series) で、毎年行われたわけではないが、この両チームがワールド・シリーズに進出できなかった場合にワールドシリーズ中の10月に試合を行った。1940年以降は、ヤンキースは頻繁にワールドシリーズに進出したため、この開催は難しくなった。1941年から1957年までの17年間でヤンキースは12回ワールドシリーズに進出している(進出できなかったのは1944年、1945年、1946年、1948年、そして1954年である)。1957年以降は、ナ・リーグのジャイアンツとドジャースの両チームともニューヨーク市からカリフォルニア州に移転した。 これらのナ・リーグの2チームがニューヨーク市から移転する以前、ヤンキースとドジャースは毎年シーズン半ばに市長杯 (Mayor's Trophy Game) と呼ばれる試合を開催していた。これは市内の草野球チームのためのチャリティゲームであった。ヤンキースからの収益はマンハッタンとブロンクスのチームへと寄付され、ドジャースからの収益はロングアイランドとスタテンアイランドのチームに寄付された。1957年にドジャースはロサンゼルスに、ジャイアンツはサンフランシスコに移転したため、この市長杯は終了した。この後、ニューヨーク市内のメジャーリーグチームはヤンキースのみとなったが、1962年にナ・リーグにニューヨーク・メッツが新設され、1963年に市長杯は復活した。両チームのオーナー間の諍いや利益をめぐる問題から、市長杯は1983年のシーズンをもって廃止された。1989年に、開幕戦前のオープン戦として"Mayor's Challenge"が復活し開催された。
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