ウルツブルグの導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/11/09 18:27 UTC 版)
「ウルツブルグ (レーダー)」も参照 1942年8月、陸軍は佐竹中佐を通しパラボラアンテナを用いたドイツの新型射撃管制レーダー(電波標定機)である「ウルツブルグ」の入手を計画。遣独潜水艦作戦で「伊号第三〇潜水艦」による輸入を試みたが「伊三〇」はシンガポールで触雷し沈没。そのため1943年6月16日にイタリア海軍の潜水艦「ルイージ・トレッリ」がテレフンケン社技術者ハインリヒ・フォーダスと佐竹中佐を乗せ、また同時に僚艦「バルバリーゴ」は「ウルツブルク」設計図面を乗せフランスのボルドーを出航した。「バルバリーゴ」は24日にイギリス軍の攻撃を受け沈没したものの、「ルイジ・トレッリ」は8月30日にシンガポールに到着、フォーダスと佐竹中佐は空路日本に向かい多摩陸軍技術研究所、日本無線にて技術指導を行った。 これによって開発された「ウルツブルク」のデッドコピー品「タチ24号」の初期製造型は一部が東京都久我山に送られ、五式十五糎高射砲ともに配備されていた。このほか「タチ24号」に先立ち、「ウルツブルグ」を参考にした国産品として「佐竹式ウルツブルグ」とも呼称される「タチ31号」(1944年4月完成)も開発されている。 しかし、ドイツからのレーダー技術もメートル波レーダーの範疇に留まり、英米のマイクロ波レーダーとPPI表示方式の実用化には至らなかった。
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