インド独立連盟とスパイ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 04:42 UTC 版)
「日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領」の記事における「インド独立連盟とスパイ事件」の解説
アンダマン諸島では、1942年4月にインド独立連盟(英語版)の支部が結成され、6月には島の青年を糾合してインド国民軍が組織された。インド独立連盟は反英独立の啓蒙活動を行い、島民に影響力を及ぼしていた。日本軍はこれらの活動を承認し、公式の集会に日本軍の関係者が出席し、インド国民軍の訓練に加わるなどしていた。 1943年1月、英軍のデニス・マッカーシーは、潜水艦でアンダマン諸島に上陸し、かつての部下であり、日本軍の下で働いていたインド人軍事警官を通じて、島内で情報収集活動を行う一方で、「インド独立連盟の中に英軍のスパイがいる」という偽情報を流した。マッカーシーが収集した情報によって英軍機が日本軍の軍事施設や艦船を正確に攻撃するようになったこともあり、疑心暗鬼になった日本軍は、1943年1月22日にナラヤン・ラオをはじめ55人のインド独立連盟のメンバーを逮捕し、拷問により1人を殺害、7人を同年3月30日にアバルディン(Aberdeen)村の海岸で銃殺した。 1943年10月には、日本軍はスパイ容疑により更に大規模に住民を逮捕し始め、インド独立連盟アンダマン支部の議長デワン・シン博士をはじめ、総勢630人以上を逮捕した。住民の逮捕は翌1944年1月まで続けられた。逮捕された独立連盟の指導者らは、日本軍から拷問を受け、英軍のスパイであることを自白するよう迫られた。デワン・シンは1944年1月13日に獄中で死亡した。同月30日には被疑者44人がポートブレアから十数キロ離れた丘で銃殺され、遺体はホムフレイグンジ(Humferygunj,HomfraygunjないしHomfreyganj)村付近に埋められた。
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